注目すべき記事二つが共同通信と毎日新聞から報じられている。共同はワシントン電で月内にも日米の局長級で核戦略含む同盟強化で協議するという記事。鳩山民主党政権が出来れば、連立を組む社民党の猛反対で立ち消えになる話であろう。
もう一つは田中内閣時代に日本政府が非核三原則の「持ち込ませず」を事実上修正し、核搭載の米艦船の寄港を公式に認める方向で検討をしたという秘話。ことし九十歳を迎えた大河原良雄元駐米大使が毎日取材に答えている。
これは岩波書店から近刊の「”共犯”の同盟史」で著者の豊田祐基子さんが米側資料をもとにして書いている。
・・・田中(首相)がミッドウエーの(横須賀)母港化取りやめを提案したとき(中略)、核搭載艦船の寄港・通過の権利を公に認め、密約を「公式化」する(ことを検討した)・・・フォード米大統領の訪日直前の話である。
フォード帰国後、田中金脈が暴露されて、田中は退陣を表明し、核搭載艦船の寄港も日米間の「潜在的問題」として残ったと、豊田さんは指摘する。言葉を変えれば、密約のまま残ったことになる。
米国防総省の一九七五年二月報告書に「米政府と海軍は根本的な変更を好まない。従って、居心地は悪くても、来るべき危機を乗り切れるよう幸運を祈るしかない」とある。
北朝鮮の核保有が避けられない現状から、この問題が日米両国の間で再燃している。
<【ワシントン7日共同】日米両政府は7日、米国の核戦略を含む幅広い安全保障対話のため、外務、防衛両省と米国務省、国防総省の担当局長級による公式協議を月内にも開催する方向で調整を始めた。「核の傘」を含む拡大抑止のほか、在日米軍再編、ミサイル防衛(MD)、米軍駐留経費などがテーマとなる見通しだ。北朝鮮の脅威や中国の軍事力増強を背景に、日米同盟の内実を強化させる狙い。(共同)>
<1974年11月のフォード米大統領(当時)の来日に合わせ、日本政府が非核三原則の「持ち込ませず」を事実上修正し、核搭載艦船の寄港を公式に認める方向で検討をしていたことがわかった。外務省アメリカ局長から官房長に就任していた大河原良雄元駐米大使(90)が毎日新聞の取材に明らかにした。
核搭載艦船については60年安保改定交渉時に結ばれた寄港を認める密約がある。現職米大統領の初来日をきっかけに密約を解消し米国の核の傘を明確化する動きだったとみられる。
大河原氏によると、フォード米大統領の来日を控えた74年秋、田中角栄内閣の木村俊夫外相(故人)、東郷文彦外務事務次官(同)、大河原氏らによる少人数の外務省最高幹部の会合で、木村外相が「米国の核の傘の下にいる日本として(核搭載艦船の)寄港を認めないのはおかしい」と発言。
「非核三原則の『持ち込ませず』は陸上のこと。寄港は持ち込みに含まれない」と解釈を変更する案について検討を指示した。
木村外相は「総理にあらかじめ(解釈修正の諾否を)聞いたが、総理は『じゃあ(修正を)やるか』と言っている」と、田中首相が了承していることも伝えた。
しかし、フォード氏来日直後の同年11月26日、田中首相は金脈問題などの責任を取り退陣表明、12月9日に三木武夫内閣が発足。木村氏に代わって宮沢喜一氏が外相に就任、話はそのまま立ち消えになったという。
政府の公式見解は、寄港も「持ち込ませず」の対象で「米側から事前協議の申し入れがない限り、核は持ち込まれていない」とするもの。
しかし、74年9月にラロック退役米海軍少将が「米艦船は核兵器を積んだまま日本に寄港している」と証言。その一方で当時、米空母ミッドウェーが横須賀を母港にしており、米大統領の来日にあたって問題が焦点になれば日米関係が混乱する可能性もあった。外務省最高幹部の会合は、こうした状況を踏まえてのことだったとみられる。【須藤孝】(毎日)>
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3616 日米局長級で核戦略含む同盟強化で協議へ 古沢襄
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