80 ツングースの渡来と北越 古沢襄

中越地震で孤立した山古志村をテレビでみた時に、ひょっとしたらツングース系の「古志族」の里ではないかと思った。ツングースは旧満州とシベリア東部・沿海州に居住した先住民族で、日本人のルーツに大きな関わりがある。
ツングースは朝鮮族とは違う。むしろブリヤート人や清王朝をつくった満州の女真族と共通する北方系民族。それが新潟から関東、東北南部で活躍し、大和朝廷と対立した歴史が残っている。
日本書記に阿部比羅夫が「討蝦夷」「征粛慎」の軍をおこした記述がある。この粛慎(しゅくしん)とは、ロシア沿海州を指す中国の呼称。朝廷が「征粛慎」の軍をおこしたというのは、渡来したツングースが新潟から山形にかけて、かなりの勢威をふるう勢力になったことを示している。
沿海州から日本海を渡って、新潟県に渡来したツングースの痕跡は、新発田市の古志王神社、山形県の古志王神社に残っている。
古代朝鮮史を紐解くと、北朝鮮から満州南部を版図とした高句麗がでてくるが、ツングースの騎馬集団が南下して作った国家であろう。ツングースの粛慎族で、高句麗にきた者を靺鞨(まつかつ)族と呼ぶ。
高句麗が新羅によって滅ぼされると、この靺鞨族の中から日本に亡命する者が出た。最初の亡命先は新潟県・佐渡だったという。現代の拉致問題で怒りと悲しみの舞台が、古代にはツングースの亡命の歴史を刻んでいた。
戦後、歴史学者の江上波夫さんがツングース系の騎馬民族が、朝鮮半島を南下し日本に侵入して、大和朝廷を建てた説を唱えて、大きな波紋をよんだ。騎馬民族が高句麗という説もあれば、ツングース系の扶余族(南朝鮮)説もある。
これが歴史学会で論争を呼んだのだが、その後古代人のDNAを鑑定して、日本人のルーツを探る研究が盛んになっている。九州の佐賀医科大学が氷河期の後に渡来した縄文人の頭蓋骨に残された歯から遺伝子DNAを抽出して、国立遺伝学研究所のDNAデータバンクの保存データと比較研究していた。
採取に成功した29体のデータと国立遺伝学研究所の保存データを照合したら、韓国、台湾、タイのDNAと合致するものが一体ずつ。驚いたことには十七体がブリヤート人と合致している。このことは縄文人のルーツが北方のシベリアにあることを示している。縄文人のルーツが東南アジアだとされてきた学説が、科学的なデータによって覆された。
その後のDNA研究で東北人・関東人は北方シベリア系、関西人・九州人は朝鮮半島系という大まかな傾向があることも解明されている。もちろん長い年月を経て、両者には血の交流があったから、異種の日本人が存在したというわけではない。
「古志」は「越」に通じる。越前、越中、越後の呼称は、七世紀の後半頃からみられる。ツングースの足跡は、かなり広範に及んでいた可能性がある。有史以前にバイカル湖周辺のブリヤート人がカラフト、北海道から東北に渡来し、原日本人を形成して縄文文化の夜明けを迎えたのではないか。
それが歴史時代に入って、より高度の文化を持つ弥生人が渡来して大和朝廷を築く。その一方で北越の地に、ツングースが渡来して、一大勢力となった。皇室の正史である日本書記には、阿部比羅夫の「討蝦夷」「征粛慎」征討軍を起こした記述があるが、東北はまつろわぬ蝦夷(えみし)の国。朝廷軍とは白鳳時代の658年から平安後期の1087年まで壮絶な戦いを演じて、力尽き、降伏している。

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