267 従妹ムツのマヨネーズを自慢 古沢襄

北一輝研究は様々な角度から行われてきた。敗戦前までは北一輝研究は思いも寄らないことであった。二・二六事件の首魁と目され”国賊”扱いされたからである。今でも、その名残が残る。研究者が佐渡に行って等しく感じるのは、人々が北一輝のことを話題にするのをためらい、避けることであろう。
私は研究者ではないが、やはり北一輝研究の先鞭をつけたのは松本健一氏ではないかと思う。そして隠されたベールが少しづつ剥がされ、昭和四十年代に入って二・二六事件や北一輝研究がさかんになった。その頃大日向一郎氏(政治評論家・日経新聞政治記者)から、戦前の岸信介氏が北一輝の思想に共鳴し、商工官僚時代に”アカ”呼ばわりされていたと教えて貰った。
大日向氏は毎日新聞の安倍晋太郎氏(安倍首相の父)、共同通信の清水二三夫氏と並んで、岸記者の”三羽烏”といわれていた。大日向証言を確かめるために富士山麓の御殿場に籠もった岸元首相のところに足繁く通うようになった。
大日向証言に興味を持ったのは、私の妻が北一輝の血縁だったことが大きく作用している。岸氏と対面して六〇年安保当時の強権政治家とは違う、もう一人の岸信介を発見した。「外交右派、内政左派」が岸氏の実像ではないかと思ったものである。
平成七年五月に大日向氏は政治記者OB会報(第五七号)で次の様に書いた。岸は「私がこれまで会った人の中で、いちばん衝撃を受けたのは北一輝だった。あの眼差しには圧倒された。北一輝の国家改造法案要綱は、当時非合法の出版物だったが、私は、読んだあと全文を筆写した」と語った。
国家改造法案要綱は大正八年に「国家改造案原理大綱」として執筆されたものを指す。ガリ版刷りで四十七部作られたが、不穏文書として出版法違反を問われている。積極的な大陸進出策を唱え、それを実現するための国内体制の整備を主張した。岸氏は、この年には東京帝国大学法学部法律学科の学生であった。大正九年七月に大学を卒業、九月に農商務省商務局に入っている。
国家改造案原理大綱は大正十二年に「日本改造法案大綱」として一部削除して改造社から出版された。伏字が多いが、伏字部分をガリ版刷りで復元したものが出回っている。昭和元年には二・二六事件に連座した西田税氏に日本改造法案大綱の版権を与えている。
北一輝の著作としては明治三十九年の「国体論及び純正社会主義」があるが、むしろこの方が北一輝の思想を示すものとして評価が高い。日本の近代思想史上、五指に数えられる著作といわれている。難解な書といわれたが、社会主義者の河上肇や福田徳三に賞賛され、久野収、吉本隆明、橋川文三、滝村隆一らも積極的な評価を下している。
私は北一輝の思想について論じるつもりはない。また、その資格もない。ただ、大正十年ごろから昭和初年にかけて、北一輝の家で差配した母方の従妹・ムツ関係者の証言を追って、当時の北一輝の生活を記録に残したいと思っている。
この時期は、東京・千駄ヶ谷から牛込納戸町に北一輝が転居した頃に当たる。ムツの長女凱子(昭和五年生まれ)は「牛込時代は大きなお屋敷で書生や女中さんが大勢いて、食事作りも大変だった、来る客も千客万来、応対にてんてこ舞いの母だった」という。ムツは佐渡の女学校を卒業して、一時、朝鮮にあった親族の家で行儀見習いをしていたが、三年ほどで帰国、北家に入った。
これにはいきさつがある。北一輝は明治四十四年に間淵ヤス(スズ)を知り、大正五年に入籍している。その前身が水商売(娼婦)だったことから母リクからは好まれていない。革命家だった北一輝はヤスの前身のことなどは問題にしていない。教養もなく、朝から首まで水白粉を塗って、家事を顧みないヤスであったが、その巫女的な異能に惹かれている。
リクは姪のムツに白羽の矢を立てて、北家の家事を差配させた。当時は三人の女中さんがいたというから、女学校をでて日が浅い二十歳のムツにとっては、大変なお役目だったのだろうが、東京の生活は魅力的であった。
ムツの次女恵子(昭和七年生まれ)は「母はマヨネーズを作ることを覚えて客に振る舞った」と証言している。マヨネーズは卵とお酢、サラダオイルをかき混ぜてつくるのだが、最初は分離して、うまくいかなかった。その中にコツを覚えて、野菜サラダを客にだして好評。北一輝も従妹のマヨネーズと自慢していた。
それにしても大きなお屋敷で、女中さんや書生を置くカネの出所はどうしていたのであろうか。右翼の襲撃を怖れる三井財閥などから手に入れていたが、千駄ヶ谷時代は苦しい台所だったという。牛込納戸町時代から金回りがよくなったという証言もある。
二・二六事件の関連でいえば、大川周明の門下生だった西田税が北一輝の弟子となったのは大正十四年。西田は陸軍士官学校第34期、秩父宮と同期生だが、二人の間には接点がみられない。秩父宮と親しかったのは、森田利八と安藤輝三であろう。西田は任官したが病気のため依願予備役に退いている。
娼婦ヤスとの結婚といい、財閥からカネを巻き上げて豪奢な生活をするなど北一輝の生涯は破天荒なものであった。

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