産経新聞の文化欄を開いて愕然とした。犀星は啄木におんぶした。故郷は遠きにありて思ふもの、は盗作だというのである。(2007・07・09石井英夫「蛙の遠めがね」)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、<室生犀星(むろう さいせい、本名: 室生照道(てるみち)、男性、1889年(明治22年)8月1日 – 1962年(昭和37年)3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた>となっている(07・7・9現在)が、これも違うという。
石井さんによると、これらを明らかにしたのは金沢在住の犀星研究家の安宅夏夫さん。安宅さんは犀星と同じ金沢の出身で室生家とは家族ぐるみの交際。作品収集や全集出版にも尽力した。
しかし犀星の出自や作品誕生の経緯に封印する事は、日本の文学史を捏造・偽造する事だとの考えから平成19年6月刊行の『人物研究』第19号(近代人物研究会)に発表した。
安宅さんは犀生の本当の父は加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種ではなく、その子で小学校校長の生種、母は21歳の芸者「ちか」だったことを既に突き止めている。
室生犀星の事は詳しく知らなくても「ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 仮令異土のかたえ(こじき)になるとても 帰るところにあるまじや」の冒頭ぐらいは知っている人の多いほど、有名である。
ところがこれは石川啄木の最後の小説「」我等の一団と彼』の中の登場人物「高橋彦太郎」の語るくだりにある。
「故郷は遠くから想ふべき処」
「帰るべき処じゃない」
この小説が掲載されたのは読売新聞であるが、小説の掲載の始まったのは、啄木の死後4ヶ月の大正元年(1912年)8月から9月にかけてだった。これを犀星は養家の向かいにある徳龍寺で読み、途端に自分のものに「入力」した。
「犀星はそうリメイクして自分の詩的生涯の代表作となるはずの『小景異情』の根幹として出現させた」と安宅さんは考察する。犀星が『小景異情』を発表したのは1年後の大正2年。
啄木の『我等の一団と彼』が最初に本になったのは大正5年だから、「読売」の連載小説を読まなかった人は犀星の詩想が先行していると考えてしまうが、真相は逆、という事になる。
しかも犀星はその後、様々な手段と戦略を講じ、その発想の独創(つまりは盗作)を装って様々なアリバイ作りをしてきたと、安宅さんはこまかく検証しているそうだ。
安宅さんと室生家との関係が心配になる。2007・07・09
749 犀星は啄木から盗作 渡部亮次郎
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