1117 朴批判に青瓦台は 加瀬英明

主宰者(渡部亮次郎氏)はその昔、韓国・朴正煕政権の日本担当相とソウルで痛飲されたとのこと。それで私もあの時代に青瓦台(韓国大統領官邸)の招待でソウルを訪れた事を思い出した。
折から「東亜日報」が朴正権批判を展開したところ、政権側が経済界圧力を掛け、同紙への広告の出稿を一切停めるという事になった。
同紙のオーナー金相萬会長とは多年親しかったので、金会長に頼まれて、出発直前に、同紙に小生の名で、言論弾圧を非難する広告を出した。
その夕方、ソウルの宿の朝鮮ホテルに着いたところ、金聖鎮青瓦台代弁人が小生を歓迎宴のため迎えに来てくれましたが、ちょうど発行されたばかりの小生広告が載った「東亜日報」(夕刊紙です)を振りかざして言った。
「招待したのに、私たちの顔を潰すのは失礼じゃありませんか!」と抗議。私は 東洋では古い友人を大切にします。韓国も日本の古い友人ですから、これからも(東亜日報を)応援しますと答えた。
宴会は青瓦台のすぐ近くの丘の上の料亭で美妓が広間を華やかに埋めて催された。その席上に、主宰者が呑み合戦を展開されたという日本担当相がお出でだった。
宴がお開きになり、酔歩も危ふく、料亭の長い石段を下りる時に、大臣が「韓日関係の資料を差し上げます」と言って、分厚い封筒を小生の上着のポケットに捻じ込んだ。
ホテルの部屋まで辿り着いて、亀との競走途中で爆睡した兎のように眠り、翌朝、目を覚ましたところで、資料の事を思い出して封を切りました。すると、当時の換算レートテで50万円にも相当するウォンの札束が入っていた。
困惑して、韓国の2人の友人に電話で救いを求め相談したところ、返すのは相手を辱めることになるから貰っておくべきだといわれた。
その日「東亜日報」の記者がインタビューにやってきました。そこでょうど、ソウルが水害に見舞われていた事を知ったので、「資料」をそっくり義捐金として同紙の寄金に寄付した。
翌日、同紙の夕刊トップで「日本の評論家、水害に大枚の寄付」という大見出しが踊った。大臣はあの記事をどんな思いで読んだろうか。既に亡き人ではある。懐かしい思い出である。(頂門の一針より)

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