1853 原爆とアインシュタイン 伊勢雅臣

日本への原爆投下を阻止しようとしたアインシュタイン。
■原爆開発の提案■
1937年7月、アメリカに亡命していたアルバート・アインシュタインのもとに、同じくナチスの迫害から逃れてきたハンガリー系ユダヤ人物理学者レオ・シラードとユージン・ワグナーがある情報を伝えた。
最近になってドイツは原子力エネルギーの制御に成功した、このままではナチスが原子爆弾を作ってしまう、というのである。二人はアインシュタインに、ドイツより先に原子爆弾を開発するようアメリカ政府に訴えてくれ、と頼み込んだ。
アインシュタインはこの依頼に応えて、1939年8月2日にルーズベルト大統領に書簡を送って、原子力兵器の開発計画を立てるよう進言した。ルーズベルト大統領はこの提案を受け入れ、マンハッタン計画がスタートした。
マンハッタン計画には多くのユダヤ人科学者が必死に協力した。ユダヤ人抹殺を進めるヒトラーが核兵器で武装して世界制覇を成し遂げることは、想像するだに恐ろしい悪夢であったからだ。
■日本に原爆を落とさないよう要請■
しかし、ドイツの敗北が確定的になり、米国政府が原子爆弾を日本に対して使う計画を持っている、という事を知って、ユダヤ人科学者達はショックを受けた。
日本は、ナチスドイツの同盟国ではあったが、人種差別的イデオロギーに反対し、逆にヒトラーに追われた多くのユダヤ人たちを助けていた。
1944年12月、ユダヤ人銀行家で大統領の親友アレクサンダー・サックスは、科学者たちの代表として、適切な事前警告なしに日本に原爆を落とさないよう要請した。大統領はそれを約束したとサックスは主張しているが、その記録は残っていない。
1935年3月、レオ・シラードはふたたびアインシュタインに連絡をとり、今度は、日本に対して原爆を使わないよう大統領に要請してくれ、と頼んだ。この時も、アインシュタインは同意して、3月25日に大統領宛の手紙を書いて、この問題に関してシラードの意見を聞き入れるよう要請した。しかし、ルーズベルト大統領はその手紙を読む機会のないまま、4月12日に死亡した。
この後も、レオ・シラードはユダヤ人科学者たちと力を合わせて、トルーマン大統領宛の請願書を2度も書いたり、大統領顧問ジェームズ・バーンズに面会し、陸軍長官ヘンリー・スティムソンに報告書を送ったりして、日本への原爆投下を中止するよう訴えた。しかし、米国政府はそれを聞き入れることなく、8月6日、人類最初の原爆を広島に投下した。
レオ・シラードに代表されるユダヤ人科学者たちが、日本への原爆投下をやめさせようと必死に努力を続けた事を忘れてはならない。
■アインシュタインの思いは■
アインシュタインはかつて日本を訪れ、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。
とまで述べて、日本を賛嘆した。その日本が、自らの提唱した原子爆弾によって無差別攻撃を受けたと知った時、アインシュタインがどのような思いを持ったか、想像に難くない。
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