3652 選挙区に帰った民主党、国会に残った自民党 古沢襄

国会は野党の審議拒否で事実上の閉会状態になった。民主党はじめ野党議員は選挙区に戻って40日後の総選挙に備えて票固めに余念がない。自民党もそうなっている筈だが、東京に残っている議員の方が多い。「東京都議選で大敗した総括をやれ」と勇ましい声が聞こえる。
総選挙で僅差でも勝つという気力が、今の自民党から失せてしまったのだろうか。戦う前から野党転落も仕方ないと諦めたかに見える。いまさら選挙区に帰って田の草取りをしても、勢いに乗る民主党には勝ち目が薄いとでも思っているのだろうか。もっとも小泉郵政選挙で当選したバブル議員は比例当選が多いから、田の草取りをしようにも自分の田圃がない。
個々のバブル議員をみていると、自民党の新陳代謝の役割を担うと思われるタマがいる。衆院選で敗れても来年の参院選や首長選挙で出てこれると思うのだが、何せ自分の田圃を持っていないのが最大の弱みといえる。小泉人気の乗って思いがけずに国会の赤絨毯を踏むことになったものだから、人気の高い総理大臣でないと自分が失速してしまう。根が他力本願、もっとはっきり言えば、”根無し草”集団である。
だが初当選組はもともとが”根無し草”。父祖伝来の田圃を受け継いだ世襲議員族が多い自民党でも六割は徒手空拳で出てくる。
一九六九年・・・七〇年安保の前年の12月27日の第32回衆議院議員総選挙で自民党288議席、社会党90議席、公明党47議席、民社党31議席、共産党14議席を獲得した。無所属は16議席だが、このうち12人を自民党が追加公認して300議席となった。
この追加公認の中に森喜朗(元総理)と渡部恒三(民主の黄門様)がいる。自民党の公認が貰えないで、党籍証明だけで当選してきている。この選挙は後の政界で頭角をあらわす「花の昭和44年組」と呼ばれる。
ざっと見ただけでも、石井一(自民→民主)、小沢一郎(自民→民主)、奥田敬和 (故人)、梶山静六 (故人)、小坂徳三郎 (自民)、土井たか子(社会→社民)、羽田孜(自民→民主)、不破哲三(共産)、森喜朗(無所属→自民) 、横路孝弘(社会→民主)、渡部恒三(無所属→民主)、綿貫民輔 (自民→国民新党)と与野党ともに多士済々。
だが300議席を獲得した自民党から見れば、生き残り組はこの程度ともいえる。小沢、羽田氏のような自民党を飛び出して、新党結成に走った議員も出たから、「花の昭和44年組」は民主党の方が多くなった。
小泉選挙で初当選したバブル議員組にとって大部分が落選するかもしれなと噂される厳しい総選挙が待ち受けている。だが、そこで生き残った者が何年か経つと政界で頭角をあらわしてくる。今から敗戦思想に取り憑かれて諦める必要はない。それには閑古鳥が鳴く国会周辺をうろつかずに、少しでも選挙区の田の草取りに精を出すべきでないか。
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