4307 観艦式に参加し感じ入ったこと 岩見隆夫

〈お徒歩ニッポン再発見〉という各県の魅力を探る『毎日新聞』の連載シリーズを取材のため熊本県にお邪魔したのは、二〇〇〇年の早春だった。
当時の知事は福島譲二さんで、まもなくお亡くなりになったが、福島さんは旧制五高やそこで教鞭をとった夏目漱石の像、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の英文碑、日本赤十字社発祥の〈ジェーンズ邸〉などを案内してくださった。
すでに十四県をめぐったあとだったが、熊本を歩いていると、どこかよそと違う空気を私は感じた。何だろうか、と問うてみたところ、福島さんは即座に、
「尚武の気風ですね」と答えたのである。
尚武、と言っても当節通じにくいが、武事、軍事を重んずることである。のちに宮本武蔵、加藤清正と、いにしえの著名武人の面影にも熊本市内でめぐり合うことになった。
「国体(国民体育大会)の武道の多くは、わが県が優勝です。自衛隊、警察官も熊本出身者が多いですよ。平成三(一九九一)年に十九号台風に襲われた時は、自衛隊の西部方面隊が出動したんですが、県内どこでも大歓迎でした。ほかの県ではそうはいかない」
などと割合寡黙な福島さんが、このことでは能弁だった-。
なぜ十年近くも前のこんな古い体験を持ち出したかと言えば、ああ、尚武の気風、と思い起こす場面に出くわしたからだ。
十月二十五日の日曜日、自衛隊記念日の行事である〈観艦式〉に参加する機会があった。前夜、横須賀市内のホテルに一泊、翌朝午前七時すぎ、横須賀吉倉桟橋から護衛艦〈くらま〉に乗艦した。雲が低く垂れこめ、雨模様である。
観艦式は艦艇、航空機の訓練を展示し、理解を深めるのが目的で、歴史は古い。旧海軍では、一八六八(明治元)年、天皇陛下をお迎えして、大阪・天保山沖で実施した観兵式が始まりだという。兵力はわずか六隻だった。
旧海軍時代最後の観艦式は一九四〇(昭和十五)年、つまり日米開戦の前年に横浜沖で実施され、〈紀元二六〇〇年を記念する特別のもので、艦艇九十八隻、航空機五百二十七機が参加した極めて壮大なものであった〉という記録が残っている。
海上自衛隊になってからは、五七(昭和三十二)年以降で、今年は第二十六回、相模湾での訓練に三十隻の艦艇と三十機の航空機が参加した。例年だと四、五十隻の規模だが、インド洋沖の給油活動、ソマリア沖の海賊対処などの派遣に回され、減っているのだという。
◇若い乗組員による接遇 行き届いた対応に脱帽
さて、私が乗った〈くらま〉は京都の鞍馬山からの命名で八一年の就役、全長百五十九メートル、ヘリを搭載し、ほとんどの装備を備えた大型の護衛艦だ。最近ではインド洋の給油、インドネシア・スマトラ沖大地震の緊急援助活動などに携わった。乗組員三百六十人。
この日は、観閲官の鳩山由紀夫首相が国際会議出席のため、首相臨時代理の菅直人副総理が昼前、観閲艦の〈くらま〉にヘリで飛来した。横須賀港からは主催者の北沢俊美防衛相、実施責任者の海上幕僚長・赤星慶治海将、執行者の自衛艦隊司令官・杉本正彦海将らが乗り込んでいた。
訓練は見ごたえがあった。専門家でないから説明しようがなく、そう書くしかない。ただ、約四十年前、防衛庁担当記者として全国の基地をめぐったころにくらべると、数段装備が拡充された。
だが、そんなことをお知らせするのが目的ではない。午後四時、横須賀港に帰着するまで、出港からの約八時間、私たち多くの一般招待客が乗組員の自衛隊員から受けた接遇のひとつひとつが深く心に残ったことをお伝えしたいのだ。
若い隊員は艦内の随所に立ち、細かな対応をする。幹部は案内係を担当していた。この日は波もかなり荒く、艦内を歩くのに足もとが覚束ない。しかも、移動するには、いくつかのハシゴのような急階段を上り下りしなければならなかった。だけど、まったく心配がない。
階段を上る時には、下の隊員が、
「一人、上りまーす」と声をかけ、上の隊員はのぞき込むようにして、
「ゆっくり、ゆっくり」と言ってくれる。下りる時は、荷物があれば手を差しのべ、預かってくれる。
それでも、次第に疲れた。休憩室で疲労回復にと私は持参のキャラメルを一個食べた。すると、若い隊員がさっと寄ってきて、
「いただきます」とキャラメルの包み紙を受け取り処置してくれる。万事その調子で、行き届いていた。
だが、私がもっと感じ入ったのは隊員たちの振る舞い方だった。出港準備の段階から帰港のあとも、おそらく終日、短い食事の時間を除いて立ちつくしていたのだ。疲れないはずはない。
にもかかわらず、彼らはたえずキビキビ、ハキハキと、明るい表情で献身的、とにかくすがすがしかった。日本にこんな集団があることに、私は驚き感動したのである。
高齢者で親切にほだされやすいこともあるだろうが、それを割り引きしても〈くらま〉の一日には、心はずむものがあった。日本の若者の未来も捨てたものではない。大げさでなく、それが実感だった。
艦内で幹部の一人(二等海佐、旧軍の海軍中佐)に、私は問いかけてみた。あんなに立ちどおしでも嫌な顔ひとつしないのはどうしてか。
「激しい訓練の結果でしょうね。分刻みの規律第一の生活ですから。私たちが号令をかけるでしょ。すると、就寝中に寝言で号令の文句を叫ぶんです。そうして身についていく」と二佐どのの答えだった。
訓練中、甲板では音楽隊の演奏サービスもあった。五人の若いラッパ隊は全員九州出身、熊本もいた。福島さんの〈尚武の気風〉を思い出したのは、そんなことからである。
観艦式のあと、〈くらま〉が佐世保港に帰る途中、衝突・炎上事故を起こしたというニュースはショックだった。しかし、貴重な感動にはいささかの変化もない。(サンデー毎日)
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