6880 「人民文庫の二世たち」の怒りの思い 古沢襄

テレビ朝日の報道局長だった松元真さんとは子供の頃から付き合いだから会うと「マコちゃん」と呼んでしまう。陰では「マツゲン」と言ったりする。マツゲンの父親は昭和作家の平林彪吾、日本プロレタリア作家同盟から武田麟太郎が主宰した「人民文庫」に参加、「肉体の罪」「震撼された易者」「女の危機」「血の値段」などを次々と発表した。だが一九三五年に「文芸」懸賞小説に当選した「鵜飼ひのコムミュニスト」が代表作といっていい。火野葦平は平林の代表作を「月のある庭」と位置付けている。
私の父親・古沢元は「日暦」から「人民文庫」に参加して平林彪吾と親交を結んだ。「日暦」の前は「戦旗」の編集部にいて秦巳三雄(はた みさお)のペンネームで評論、翻訳を発表、一九四〇年に同人雑誌「麦」に発表した「紀文抄」(きぶんしょう)が、第12回直木賞候補作品になっている。戦旗時代に上野壮夫と親交を結んで、上野も「人民文庫」に参加している。
父親たちの親交が子供たちに受け継がれて、武田の長男・文章、次男の穎介、上野の次女・堀江朋子それにマツゲンと私が浅草でよく会って飲み歩いたものだ。いつしか自分たちで「人民文庫の二世たち」と称して粋がった昔が懐かしい。マツゲンと私は来年は数えで80歳、”傘寿”を迎える。
平林彪吾の本名は松元實、鹿児島県人である。妻・三嶋信子は鹿児島県士族の出。古沢元の妻・木村真喜は長野県士族の出なので、似たような出自ということも両家の親交を深めたのかもしれない。平林は若くして亡くなったが、駆けつけた古沢元の落胆ぶりを真喜が私に語ってくれた。その息子たちがジャーナリストになったのも何かの縁なのだろう。
マツゲンの奥さんは数年前に亡くなった。「女房が遺した鏡台の前で一日中、ぼんやりとしている」とマツゲンは電話で言ってきたが、生憎、私は骨髄腫という血液のガンに冒されて病床にあった。余命三年といわれてマツゲンの奥さんに会う日が近いと観念していた。来年は骨髄腫の告知を受けてから八年目を迎える。ガンに強い異常体質なのかもしれない。ただ、感染症に罹りやすい体質になってしまったので、人と会うことは極力避けている。
マツゲンも私も小説こそは書かないが、シコシコともの書きに徹している。二〇〇九年に図書新聞から発刊した「父・平林彪吾とその仲間たち 私抄 文学・昭和十年前後」はマツゲンの力作。上野の次女・堀江朋子も一九九七年に朝日書林から「風の詩人 上野壮夫とその時代」を発刊した。いずれも身内の情念を抑えて昭和十年頃の文学活動を丹念に記録している。
そういう私も一九八二年に三信図書から「びしゃもんだて夜話 古沢元・真喜遺稿集」、一九九八年に朝日書林から「古沢元とその文学 沢内農民の興亡」を発刊した。古希を越えているマツゲンや堀江朋子、私たちは「人民文庫の二世たち」という懐古趣味でものを書いているのではない。
戦後生まれの世代が日本を背負っているのだが、昭和十年頃の若き文学者たちが燃えるような情熱を燃やしてファシズムにひた走る世相と格闘した悲壮な歴史に較べれば、今の世相はあまりにも情けない。左翼の仮面をかぶった権力闘争という気すらする。日本は精神的に衰えているのではないか。その思いを、これからも書き続けるつもりでいる。
杜父魚文庫

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