9674 薄煕来の最大胴元、利権ビジネスの主役企業が倒産  宮崎正弘

大連、重慶で薄ファミリーの利権ネットワーク、ほぼ壊滅へ。徐明(大連実徳集団董事長)が薄スキャンダル関連で逮捕拘束されたのは3月15日前後と推定される。
徐明は薄ファミリーの利権ネットワークのなかで最大の胴元、どら息子のオックスフォード、ハーバード大学院の留学費用、豪遊費用の全ては徐明がまかなったとされる。そもそも薄煕来の公式のサラリーは月給12万4000円程度、どうやって海外留学費用を捻出できるだろう?
 
3月15日、薄は重慶市書記を解任され、4月10日、政治局委員の職務停止。そして4月23日、大連実徳集団は倒産した。
徐明は2002年に『フォーブス』(中国語版)の財閥ランキングに顔を出して以来、「フォーブスが選ぶ中国民間企業家十傑」にランキング入り、最高位はフォーブス第十一位だった。
徐明が保有する、2億元を投じた自家用飛行機は時速850キロ、航続距離4200キロを誇る「チャレンジャー850」(カナダのボンバルディア製)。
この飛行機のインテリアはオバマ大統領の乗る「エアフォース・ワン」に似せて、執務室、バア、応接室、フィットネス施設あり、最大50名前後を載せて空中パーティも開けるという豪華ジェット機だが、徐明は、これを「特殊接待」に(インドネシアで事故を起こし、50名が死亡した、かのロシア機<ビジネスジェット機>は、この猿まね)使った。
「紅楼」の空中盤では有名女優、女子大生、看護婦、女優の卵などを侍らせ、高官らを特別接待。或る中国のブログによれば、「百名の女性を徐明は薄煕来とも”共有”した間柄だ。その上、拘束される直前に徐明はシンガポールから香港経由、北京へ入り、陪席させて某有名女優に850万元を支払った」そうな(博訊新聞網、5月9日より引用)。
薄煕来の権力を嵩にしての利権で太った同社は、すでに徐明社長が3月15日の薄失脚と同時に拘束され、尋問を受けていたことはわかっていたが、社業は運転資金が続かずに突如、停滞、各地のプロジェクトが頓挫しており、五週間後に倒産していたわけだ。
薄ファミリーの汚職、破廉恥な殺人事件か如などの陰に隠れたが、最大の政敵だった温家宝にも悪い噂がまとわりついて、最新情報に寄れば息子の温雲松(ノースウエスタン大学院でMBA)が「中国衛生通信」の社長に就任したことが判明、同社の株価は50%以上跳ね上がった。
温家宝を強力に首相に推挽したのは朱容基前総理だが、その息子レビン朱は「中国国際キャピタル」のCEOに就任していたことも判明した。
これで李鵬のどら息子や娘の水利系、土木企業トップや、胡錦涛の息子のセキュリティ企業トップなど、あまた共産党高官の、ほぼ全員が「太子党」利権のネットワークのなかで利権を享受している。
だからTIME(2012年5月14日号)が書いた。「社会主義を標榜する中国共産党は、中国資本家官僚党と言うべきだろう」と。
▼江蘇省揚州に江沢民ゆかりの飛行場が開港したのだが・・・。
さて権力闘争で「優勢」が伝えられた共青団だが、江沢民派の巻き返しも凄まじい。江蘇省揚州で「揚州泰山空港」がオープンした(揚州といえば、中国人は江沢民、しかし日本人は鑑真和尚を連想する)。
この地に飛行場が必要かどうかの議論もなく、小さな田舎の空港だが、開幕式には錚々たるメンバーが集合したのである。
江蘇省書記の羅志軍、省長の李学勇。この列に当該担当「中国民生航空局」からは李家祥局長、そして軍から総参謀部陳丙徳・参謀総長の代理として作戦副部長の孟国丙が参加して「祝辞」を述べた。
何故にこれほどのローカル空港の開港式に大げさなメンバーが集まったかと言えば、じつは揚州は江沢民の故郷である。
「上皇」を誇示する江沢民が「揚州泰山飛行場」と命名した経緯もあり、軍の代表も参加したジェスチャーをしめることで「上皇様がまだ軍部をおさえているのですヨ」と無言の示威行動を取ったのである。
(読者の声)ベトナム・ホーチミン市滞在はほぼ10年ぶり。中部のフエやホイアンなどのほうが居心地がよく通過するだけでした。
空港到着前に出入国カードの配布がなく入国審査場で探すがやはりない。なんと2010年9月から廃止になっていた。ベトナムではパスポートはホテルで取り上げられるからカードを書かせる必要もないのでしょうか。
タンソンニュット空港にはかまぼこ型の戦闘機の格納庫が残っていますが、分厚い鉄とコンクリートで作られていてベトナム戦争当時のアメリカの国力の一端がわかります。
両替所には通常なら「売り・買い、現金とTC」のレートが表示されるのに、この空港なぜか一番レートがよく見える「買い」の表示のみ。90年代半ばに1万ドンまでしか紙幣がなかった頃は5千円の両替で厚さ1センチもの札束になったものですが、今では10万・20万・50万ドン紙幣(1万ドン以上はプラスチック製)があるので楽、レートは1万ドンが40円。対ドルレートでは96年に市中では1ドル1万ドンだったのが現在は1ドル2万ドン。市内までのタクシーはなぜか千円、チケットに書き込む数字を見ると18万ドンだから750円。
潔癖症の日本人だと文句をいう人もいるかもしれませんが1990年代には外国人価格がありチケットもホテルも全てドル建てだった名残ですね。遠回りされたり運転手と揉めるのも面倒なので250円分はチップと思ったほうがいいのでしょう。市内への道は相変らずオートバイの洪水ですがほとんど新車。ホンダのカブも中国製偽ホンダ(HONGDA)も全く見かけません。
2000年当時一番走っていた水平基調のデザインのホンダドリームも少数派、ほとんどはタイと同じく尻上がりデザインのホンダウェイブ並びにヤマハ・スズキの同様なデザインのバイク。
かつてタクシーはほとんどが韓国車でしたが、現在ではトヨタ車が圧倒。しかし自家用車では韓国車も頑張っており、特に起亜自動車のデザインには素晴らしいものがある。現代自動車のデザインもモノマネを完全に脱却、品質が確かならば相当手ごわい存在になりそうです。
ホーチミン市の旧市街は現在でもサイゴンと呼ばれます。福岡市≠博多のようなもので、サイゴンの方がしっくりするので以下、サイゴンとします。
空港から市内中心部への道では、ほぼ全ての交差点にデジタルカウンター付の信号機が設置され渋滞は全くない。しかしバイクの数はさらに増えているようで、どのタクシーも擦り傷だらけ。火炎樹などの街路樹は以前と変わらないものの、フランス時代の角型穴あきの電信柱はほとんどなくなってしまったようだ。
サイゴンは空が広く大阪を思わせるところがあります。気質的にも信号や規則を比較的よく守るハノイが東京だとするとサイゴンはその辺がいい加減な大阪に近い。警官や警備員、ホテルマンなどの制服姿もハノイの方がサイゴンよりピシッとしているあたり、成田と関空の制服姿の差と同様な印象を受けます。
バンコクと比べると差異が一層際立ちます。タイ人は「アイロン命」で服に折り目がキチンとついていないと落ち着かない。一方サイゴンでは多少ヨレヨレでもほとんど気にしない。
警官・警備員も同様で、バンコクでは軍服同様に裾をブーツの内側に入れるのに対しサイゴンでは普通の靴に普通のズボン。どうにも締まらない印象です。
宿は安宿街として有名なファグーラオのミニホテル。冷房・冷蔵庫・エレベータ・無料の無線インターネット完備で20ドル程度のホテルはいくらでもあります。
ホテルの予約サイトを見ていて笑ってしまった警告文、「ベトナム人の未婚女性と宿泊する場合、同室での宿泊は禁止されているため、別途部屋を予約してください」というもの。
1990年代には警察・共産党・ホテルのピンハネがひどすぎるためカンボジアまで出稼ぎ売春に行くのだと言われたほどで、10年前でもミニホテルのレセプションでは女を斡旋していました。
ベトナムは韓国同様に売春大国、絵葉書売りも春を売るし、マッサージ嬢はもれなく売春を持ちかける。サイゴンの国営ホテルのマッサージ嬢しかり、ダナンの街中のマッサージのおばさん、プノンペンのマッサージの少女、一様に5分もマッサージをすると売春を持ちかけてきたものです。マッサージは真面目にやるとけっこう重労働ですから、下品な言い方ですが股を広げて寝ている方が楽という考え方があるのでしょう。
サイゴンではシクロやバイクタクシーのドライバーが「マッサー、ブンブン」と声をかけてきます。ブンブンというのはインド圏のジキジキと同じくセックスの隠語です。
身振りでは左の掌を右手の拳で叩くしぐさがセックスを表しますが、岩波少年少女新書の一冊で満州から引き揚げた中学生の回想録にロシアでも同様のしぐさをする例が出てきます。今回はどうかというと、ホテルでの斡旋はなし。
しかし夜遅くビールの買出しに出かけると5分間で5人の女に声をかけられた。「マッサー、ブンブン、ワンナウアー、サーティドラー」といったものです。中国人同様、単刀直入でビジネスライク、バンコクとは全く違う。バンコクではたいてい甘えるように「パイ・ドゥワイ、ゴー・ウィズユー」一緒に(ホテルへ)行きましょう。
中国人・韓国人は若い女とのセックスが目的で酒を飲みに行きますが、日本人はそうではありません。下心があるにせよ、まずは会話や雰囲気を楽しむために酒やコーヒーを飲みに行く。そのへんが理解できない中国人はメイド・カフェのようなものまで風俗と勘違いしてしまう。
中国人・ベトナム人は接客業に向いていないのは飛行機に乗ればわかりますが、マッサージを受けてみるとよりはっきりしますね。(PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)サイゴンの路地裏の表情、楽しく面白く拝読しました。そういえば、1972年師走、まだ戦争中だったサイゴンへ行きました。
ヴィザ取得に英文で18首の書類を用意して、飛行場から市内の、新聞記者のたまり場だったマジェスティックホテルまで、なんと十八個所の検問がありました。徳岡孝夫氏や古森義久氏らもサイゴンにいた頃です。
ホテルの周りは洒落れたバア街で、タクシーは人力車がバイクでした。
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