1993 時計の針を戻せたら 古澤襄

ジャーナリストにとって、忘れられないのは、駆け出し時代のことであろう。私の駆け出し時代は、東北・仙台のサツ回りだった。そこで富山県・高岡出身の色白の美人ジャーナリストに出会った。
テレビ全盛時代の今なら美人キャスターは掃いて捨てるほどいる。しかし、昭和32年と言えば、女性記者が珍しい頃だった。早稲田大学の第一政経学部を卒業して、毎日新聞に入ったこの女性は、たちまち仙台のジャーナリストの人気者になった。
彼女が同じ昭和7年生まれということもあって、サツ回りが終わると仙台の東一番丁界隈を記者仲間と連れ立てよく飲み歩いた。
記事を書くか、飲むことしかない青春時代だった。バーの止まり木に座って、あきもせず、議論を交わす毎日だったが、女王として君臨していた彼女が「富山というところは、学問して世界が広くなった女には住みづらいとこなのヨ」と珍しく暗い顔をして言ったことがある。
その時は、たいして気にもとめなかたが、その年の冬がきて、蔵王おろしの風が吹きすさぶ頃、突然、彼女は私たちの前から姿を消した。フルブライトの留学生試験に合格して、毎日新聞在社のまま米国に一年留学することになったのだ。
それから一年して、私も東京本社の政治部に転出した。風の噂では、彼女も留学が終え、大森実氏が率いる外信部で、紅一点の人気者になっていると聞いた。一度、彼女に会ってみたいと思っているうちに、再び、彼女は私たちの前から姿を消した。
米国人の医師と結婚して、海を渡ったという。そして、どういうめぐり合わせか、十数年前に彼女が「世界が広くなった女には住みづらい」と言った富山県に赴任することになった。時代が変わったせいか、富山の女性たちは、のびのびと自己主張して、むしろ男性の方が大人しい。もともと米騒動は、富山の女性のエネルギーが、惹き起こしたものだ。
この十数年間で、富山県は大きく変わった。今では北陸随一の経済圏として、広域化、開放化され、かつての閉鎖社会は、姿を消した。今では住み良いところ世論調査をすると富山県が上位に出てくる。
”青い鳥”を求めて、海を渡った彼女は、この変化をどう見るだろうか。時計の針を戻すことが出来るなら、情熱的な彼女のことだから、今度は富山の土地で、”青い鳥”探しに熱中するのではないかと・・・ふっと思ったりする。(杜父魚文庫から再録・北日本新聞コラム)
このエッセイには続きがある。北日本新聞のコラムに書いたこの記事を読んだ高岡高校の同級生たちが、広島に赴任した夫君と一緒に帰国していた彼女に記事を送ってくれた。そして十五年ぶりに富山市で再会することが出来た。三十六年昔の話である。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(6月30日現在1990本)

コメント

タイトルとURLをコピーしました