4743 江副さんの「真実」は人ごとのようだ 岩見隆夫

去年と今年をくらべ、日本社会のもっとも大きな変化は、自民党が与党から野党に転落したことである。それが私たち国民、あるいは日本という国にとって幸せな結果をもたらすかどうかは、まだ確信的にコメントできる段階ではない。
だが、自民党は早晩、政権を失う運命にあった、といまではほとんどの人が思っている。国民から見放されても仕方ない政党に自民党が次第に落ちぶれていったからだった。はやりの言い方をすれば、〈政党力〉を失ったのである。
とはいえ、この政権交代劇にはもっと綿密な検証が必要だ。〈運命〉などというあいまいな言葉を使ってしまったが、政党の衰退にはそれを支えてきた人たちの失敗、怠慢だけでなく、不運もある。
不運の一つが二十二年前のリクルート事件だった。戦後、政界を襲った四大疑獄は、昭電・造船・ロッキード・リクルートの各事件だが、このうち自民党を根こそぎひっかき回し、運命を狂わせたのはリ事件である。政治家側の責任はもちろん重いが、事件の性格からみて不運な要素があった。
仮に民主党政権下で起きても、同じように多くの政治家が連座していたに違いないと思わせる事件である。とにかく、政治をメチャメチャにした主役の江副浩正・元リクルート会長の社会的、道義的責任は計り知れない、と私は思ってきた。
だから、二〇〇三年三月四日、東京地裁の山室惠裁判長が江副さんに懲役三年、執行猶予五年の判決を下した時は唖然とした。なぜ猶予なのか。裁判長はいろいろと情状酌量の理由を並べ、理解できることもないではなかったが、江副さん個人の情状について、
「さまざまな分野の多くの人々が被告人の人格や識見、その業績を高く評価し、寛大な処分を望む旨の証言をしている。法廷で直接見る被告人の風姿と重ね合わせると、悪人の烙印を押された被告人像以外に、もうひとつの人間像も浮かび上がる」
と言うに及んで、私はあきれ、当時の新聞コラムで裁判長の社会常識の薄さを憂えた記憶がある。私は江副さんと直接面識がないので風姿のよしあしは映像で接するしかなかったが、それほど高潔な人格者とも見えなかった。人間はだれも多彩な面を持っているから、評価は当然さまざまだ。
しかし、いやしくも罪を裁く判決文に、〈風姿〉などという文学的な表現で被告人を称賛するかのような主観的評価を織り込むことに、私は怒りを覚えたのだ。あのころの極度の政治的混乱、それが与えた損失の大きさを裁判長はご存じないのだろうか。ずっとひっかかっていたことだった。
◇罪の意識も反省もない自己中心的なエリート
昨年暮れ、『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)という江副さんの著書が店頭に並んだので、すぐに買い求めた。江副さん自身の罪の意識と反省はどの程度のものなのかを知りたい。
しかし、読んでみると、この本は百十三日間に及んだ逮捕勾留期間中の検事による取り調べの苛酷さと、三百二十二回開廷され十三年間も続いた裁判の長さを告発するのに主眼があり、司法制度改革につなぎたい意図がはっきりしている。江副さんとリクルート事件元被告・弁護団による『取調べの「全面可視化」をめざして』(同)が同時出版されているのでもわかる。つまり、〈反省の書〉ではない。
それでも、伝わってくるものはある。『朝日新聞』の報道によるとリクルート社のコスモス未公開株譲渡事件が発覚したのは一九八八年六月、以後、文字どおり続々と政治家の名前が登場したのだった。
報道順でみると、森喜朗、渡辺美智雄、加藤六月、加藤紘一、塚本三郎、中曽根康弘(自民離党)、安倍晋太郎、宮沢喜一(蔵相辞任)、竹下登、藤波孝生(在宅起訴)、渡辺秀央、池田克也(在宅起訴)、上田卓三、長谷川峻(法相辞任)、小渕恵三、原田憲(経企庁長官辞任)と自民党のニューリーダーをすべて網羅したのである。
八九年六月、ついに竹下内閣が総辞職、しかし、後継者とみられていた安倍さん、宮沢さん、渡辺さん、さらにそのあとをうかがう藤波さん、小渕さん、森さんらが全員〈リクルート汚染〉され、金縛りにあったのだ。前代未聞の異常事、自民党は全身マヒ状態に陥った。
江副さんはなぜこんなに多くの政治家に多額の政治献金をしたのか、著書の〈長いあとがき〉のなかで、
〈スキーを通して長いおつきあいのある大賀啓三さんにリクルート裁判の情状証人をお願いした時、大賀さんは「江副さんは寂しがり屋だから、多くの人に株譲渡を行ったのだと思う」と証言された。それを聞いて、私は大賀さんに見透かされたと思った〉
と書いている。さらに江副さんはこうも言っている。
〈私は常に自らもっと学ばなければならない、成長しなければならないという強迫観念に駆られていた。私は絶えず緊張していて孤独でもあった。多くの人と交わることで、学ぶと同時に、乞われるままに多額の政治献金を行い、心のバランスをとっていた〉
東大を出て時流に巧みに乗った有能な、だが寂しがり屋の事業家が、心のバランスを保つために手を染めた犯罪、だそうだ。恐れ入る。こんな徹底した自己中心主義のエリートが世の中にはいるものだ。ホリエモン騒動の時も似たような感想を持ったが、そういう人物の存在によって、社会は一時的にかき乱され、多くの人の人生も狂ってしまう。
〈人生には様々な巡り合わせがつきものである。リクルート事件もまた、良くも悪くも巡り合わせが生んだ事件であった。……事件がなければ、竹下総理は日本に初めて消費税を導入した功績で再選されていたであろう〉
などと江副さんはまるで人ごとのように綴っている。
自民党の不運を悲しんでいるのではない。誘惑に乗せられた政治家がうかつだったのだ。江副さんには改めて反省を求めるつもりはないし、求めてもむなしい。
新しい年、自民党に限らず政治家のみなさんには、人物の真贋を見分ける嗅覚を身につけてもらいたい。そうでないと、無用の混乱を重ねる。(サンデー毎日)
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