2008-06

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1956 「検閲」を知っているか 渡部亮次郎

「夜のプラットホーム」作詩 奥野椰子夫  作曲 服部良一 歌 二葉あき子。敗戦後昭和22(1947)年の流行歌だが、実は違う。昭和14年、当時は淡谷のり子がレコードに吹き込みをしてコロムビアレコードが発売。しかし世には出なかった。戦後生まれ...
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1955 ルーツを求めて20年(5) 古沢襄

元亀二年(1571)五月、小田原の北条氏政は下妻城の多賀谷攻めを行った。この年の八月にも氏政は下妻に攻め込んでいる。小田原勢には結城と梁田の軍が先鋒となり、多賀谷勢には佐竹の軍が来援するという構図になっている。五月合戦の舞台となったのは下妻...
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1954 ルーツを求めて20年(4) 古沢襄

この数年、ルーツ探しの私の記事を読んでくれる人が増えている。ルーツを探る作業は、実は根気のいる泥臭い仕事になるから、よほど歴史などの書物好きの人でないと続かない。泥臭いついでに私のやり方をご披露しておく。太田亮氏の「姓氏家系大辞典」三巻は読...
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1953 ルーツを求めて20年(3) 古沢襄

古沢家過去帳では安永2年(1773)に没した玄質道了信士を筆頭にしているが、さらに雫石邑生まれの添え書きがある。私の頭から雫石・古沢氏という存在が離れなかった。その雫石・古沢氏から沢内・古沢氏が枝分かれしたと考えた。十年前の1998年夏のこ...
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1952 ルーツを求めて20年(2) 古沢襄

文学町長である高橋繁・西和賀町長が沢内村の教育長時代に、盛岡の岩手県立図書館で全五巻の「参考諸家系図」を調べていたら、南部藩士・古沢氏の出自が「生国常陸の人なり、浪士にて南部領山田村に来たり、北田村に移る」とあるのを見つけた。作家・高橋克彦...
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1951 ルーツを求めて20年(1) 古沢襄

人の血脈というものが持つ不思議さに惹かれて20年近くになった。口の悪い友人に言わせれば「島国の日本だから遡れば大概が天皇家の一族になるよ」という。それはそうなのかもしれない。先祖のルーツを辿ると「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」の姓氏のどこか...
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1950 「広辞苑」を端から記憶 古沢襄

人間というのは十歳前後の頃が一番、記憶力が旺盛な時期ではないかと思うことがある。”神童”などといわれた人たちの話を聞くと「広辞苑」などの辞典を読んで、端から記憶したという。凡人の私などは話を聞いただけで気が遠くなってしまう。孫の機嫌をとるた...
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1949 世界飲み水事情 渡部亮次郎

日本は、公共施設や駅などには水道や冷水器の飲み水、レストランに入ればお冷やが出る、かなりサービスに恵まれている。世界各地ではどうなのか。水道の水がそのまま飲める国は驚くほど少ない。沖縄県の西表島。水道もあるが、川水や農業用水の方が甘くて、う...
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1948 危ない北朝鮮・拉致調査約束 丸山公紀

日朝実務者協議の結果について、日本政府は北朝鮮が日本人拉致問題に関する再調査の実施、日航機「よど号」乗っ取り犯関係者6人の身柄引渡しへの協力を約束したことをもって、「一定の前進」とした。しかし、それは言葉だけのことであり、「再調査」という言...
宮崎正弘

1947 西尾幹二『GHQ焚書図書開封』 評・宮崎正弘

巨大な現代史の空白がなぜうまれたのか。GHQは日本の歴史と精神を抹殺するために多くの古典的良書に焚書を命じた。戦後派と言っても小生は昭和21年生まれだから、戦前のことをまるで知らない世代である。引き揚げ者一家だったので、父の郷里とされた金沢...