701 グアンタナモから釈放されたウィグル人たち 宮崎正弘

昨年五月頃、米国はウィグル人を五人、ひそかにグアンタナモ基地から解放し、アルバニアがかれらの「亡命」を受け入れた。
 
中国は引き渡しを要求したが、嘗て最大の親中派だったアルバニアは、いまや最大の親米国家。やんわりと引き渡し要求を拒絶した。
かれらはいずれ新彊ウィグル自治区へ舞い戻り、反中国運動を地下で展開するかに予測された。
結論から先に書けば、かれらはアルカィーダでも、東トルキスタン独立運動の活動家でもなかった。新彊で職が無く、有利な就労をもとめて国境を越え、いつの間にか「うまい職場がある」と騙されてアフガニスタンのトラボラ地区へ潜入、そこで軍事訓練を受けていたのだった。
アルバニアの首都はティアナ。
永らく独裁で閉鎖的で孤立していたアルバニアは、アドリア海に面する海上交通の要衝でもあり、対面のイタリアへの密航が絶えない場所としても知られた。
イタリアの政治家は「軍艦を派遣して密航船を海に沈めろ」と選挙で訴えた程だった。
じつは、このルートが中国人のヨーロッパへの密航ルートだった。
環境は一変する。
ユーゴスラビアがチトー独裁と冷戦の頸城から解き放たれ、六つの民族国家に分裂した。コソボ問題、ボスニア問題でNATOは反セルビアとなり、距離的にEUに近いアルバニアは、この動きに便乗した。
アルバニアは自由化され、逆に中国との旧来の異常な関係は「正常化」する。アルバニアは米国に接近する路線に転換したのだ。
▼グアンタナモ基地では虐待も拷問もなかった
キューバのグアンタナモ基地では「アルカィーダ」と見られる捕虜が40名ほど収容された。
連日の取り調べ。
それが四年間つづいた(凶悪犯などは、現在も収監されている)。かれらはトラボラ近くにいて、米軍の空爆が始まった2001年10月に、慌ててパキスタン領内へ逃げ込んだ。
そこでパキスタン官憲によって米軍へ引き渡された。およそ40名近くが、おなじようにして、グアンタナマ基地へ運ばれた。
その結果、ウィグル人で「過激派」でも「アルカィーダ」でもない、活動家でさえない人々が混ざっていたことが判明し、米国はひそかに外交ルートを通じて、最初に容疑が晴れた五人の「亡命」受け入れを打診してきた。
米国の打診は百カ国に及んだが、最後にアルバニアが受け入れた。
ほかに「容疑」が晴れたウィグル人がすくなくとも十五人から十七人いる、という。
五人のウィグル人はアルバニアの「難民センター」に収容され、宿舎は警備が厳重で、そのまま、何もすることなく、およそ一年間を過ごしてきた。
唯一の楽しみは毎月支給される30ドル前後の小遣い、これを新彊ウィグルにいる妻や子に電話をかけて使い果たしてしまい、コーランを読んであとは高い塀と壁の中で孤独と闘っている。
「彼らを支配しているのは絶望でしかない」とアルバニアへ取材へ飛んだNYタイムズの記者が書いている(IHT、6月11日付け)。
今月初旬にアルバニアを訪問したブッシュ大統領に、かれらは直訴を考えていた。
ようやく首相府へ外出が許され、米国のアルバニア人コミュニティへの移住を希望する旨を伝えたが、ブッシュ大統領との会見はなかった。
彼らは、もうひとつ重要な証言をしている。
それは「グアンタナモ基地では虐待も拷問もなかった」、と。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より)

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