6月12日付け産経新聞によれば、時事速報の中の「中国政策トレンド」というコラムで、富士通総研上席研究員の柯隆氏が次のように書いている、と言う。
集合住宅に住む友人の家を訪ねると、階段や廊下などの共有部分の照明はほとんど壊され、床も掃除されておらず汚かった。しかし、一歩家の中に踏み込むとぴかぴかに輝いている。
この記事は、ここから「こうした公共心の無さがいまや上海の生命線をも断ちかねない状況になっている」と議論を展開していくのだが、筆者の興味を引いたのは、汚い共有部分とぴかぴかの「家の中」、すなわち私有部分の対比である。
自分の家の中を綺麗に保つことは「私事」である。綺麗な家で暮らしたい人が、自分のために自分の家を綺麗にしているだけで、それは公共心とは関係ない。
ところが、階段や廊下など共用部分を綺麗に保つということは、「他人のために自分が掃除する」という公共心の発露である。
ここで思い出すのが、JOG(480)「心を磨くトイレ掃除」で紹介したイエローハット社長・鍵山秀三郎氏の「掃除道」である。生徒に学校のトイレを掃除させることで、問題校の立て直しができた、という事例がいくつも報告されている。[a]
たとえば、広島県立安西(やすにし)高校。以前は「校内には至るところゴミが散乱し、ところかまわず平気でゴミを捨てていました。トイレのなかも想像を絶する汚さでした」という状態だった。
同校で生徒によるトイレ掃除を続けていった結果、服装の乱れも見かけなくなり、問題行動も激減していった、という。
興味深いのは、7年ぶりに体育祭を復活させることができ、その中で生徒たちがチームワークのとれたマスゲームができたという。それだけ、生徒たちの公共心が発達したということだろう。
鍵山氏は「日本をゴミ一つない国にしたい」と活動を続けている。駅や道路などの公共部分にゴミ一つなくするためには、それだけ高度な公共心を国民一人一人が持った社会にする必要がある。
それはよく清掃されたという意味で「街の美しい国」であるばかりでなく、人々の心が公共心に満ちて、互いに思いやりをもっている、という意味で「心の美しい国」であろう。(「国際派日本人の情報ファイル」より)
710 トイレ掃除と公共心 伊勢雅臣
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