1010 北風論と南風論 古沢襄

私はカタカナ用語が苦手。”キャラ”を連発する麻生太郎氏に福田康夫氏が「キャラって何のこと?」と聞いていた。キャラクターのことだろうと想像がつくが「キャラが立つ」となると漫画好きの若者には分かるが、私のような老人には理解できない。
むしろ日本語を乱すなと言いたくなる。若者に迎合してキャラを連発する麻生氏に軽佻浮薄さを感じる老人が私の周りにもかなりいる。テレビに出るキャスターが漢字を読み違えて意味不明なことをよく言っている。カタカナ用語もいいが、せめて当用漢字だけは正確に読んでほしい。
前置きは、そのくらいにして最近はリベラルとネオコンの言葉がよく出る。リベラル、自由主義の思想を述べたら、歴史の変遷を経ていて、ちょっとした学術論文になる。今いうリベラルは現代自由主義の思想というべきものだが、これも範囲が広くて一言では律することができない。
ネオコンも一般的にはアフガン戦争やイラク戦争を主導したアメリカの新保守主義思想ととられている。しかし歴史的には、古典的な自由主義から脱皮を目指した新しい保守主義思想のことで、アメリカ・ネオコンは鬼っ子といえる。ネオコン、新保守主義も裾野が広くて一言で律しえない。
戦後の日本政治は自由主義と社会主義の対立の時代が長く続いている。六〇年安保の時代に自民党の前尾繁三郎氏の私邸によく通った。池田内閣の幹事長となるずっと以前のことなので、新聞記者は誰も訪れる者がいない。
”暗闇の牛”とあだ名されたが、政界一の読書家で江戸川アパートの一室を書庫代わりに使っていた。政治家向きではないと思いながら、その人間性に惹かれて通い続けた。ウイスキーの水割りを傾けながら「ニューライトって分かるだろうか」と突然言い出した。
カタカナ用語が嫌いな私は返事をしなかった。社会党の江田三郎氏が唱えた構造改革論はニューレフトとも評された時代なので、それの対置用語程度にしか思わなかった。構造改革論はイタリア共産党のトリアッチ書記長が唱えたナチス・ドイツの弾圧に対する戦略論なのだが、導入された日本共産党では論争の末に敗北している。
それが社会党に導入されて、江田氏のニューレフト路線を形成している。社会党内には戦前からの労農派の抵抗路線があるから、党内を二分する路線論争が起こったが、前尾氏の言うニューライトも岸元首相が主導した新保守主義に対抗する新自由主義、リベラル路線を考えていると思った。
私があまりいい返事をしないうえ、ウイスキーもかなり回った頃「イソップ物語の北風と南風さ」と前尾氏は言った。国会で三分一の議席を持つ社会党を多数決原理で対決し、押しまくる路線をとるよりも、三分の一の主張を取り入れ柔軟な国会運営をとる手法をニューライトと称している。池田首相の弟分で厚い信頼を得ている前尾氏の発想だった。
この前尾氏は福田赳夫氏と同時に東大を卒業して、大蔵省に入省している。福田氏は日の当たる主計局畑、前尾氏は税金屋の主税局畑なのだが仲が良いことは、あまり知られていない。池田首相が唱えた高度経済政策を幹事長として支えながら、これに批判的な福田氏の安定経済成長政策にも耳を傾けている。
ニューライト路線の前尾氏と親しかった赳夫氏の息子の康夫氏がリベラルの旗手として官邸入りする日が迫った。「北風でなくて南風」と言った前尾氏を支えたのは宮沢喜一氏だった。その宮沢派の流れを汲む古賀派、谷垣派が福田氏を支えようとしている。何か因縁めいたものを感じるのは私だけであろうか。

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