1017 ゴッドマザーの想い出 古沢襄

福田自民党総裁が選出される前夜、五十五歳で早世した実弟の横手征夫氏を偲んで一人酒を飲んだ。酒飲み仲間であったし、母親の三枝さんと一緒にゴルフもした。私は福田赳夫氏の後継者は征夫氏だろうと想像していた。赤坂プリンス・ホテル旧館の福田事務所に行くと征夫氏が座っていたが、いつも人なつっこい顔で「やあー」と挨拶してくれた。

三枝夫人と亡友・征夫氏(右端)
岸信介氏の担当だった私は毎年クリスマスに東京・神楽坂の料亭・松ヶ枝で開かれた岸氏を囲む会に出ている。岸派三羽烏といわれた安倍晋太郎(毎日)、清水二三夫(共同)、大日向一郎(日経)といった大物記者に混じって、福田赳夫氏も必ず姿をみせたが、印象が薄かった観が否めない。
それが突然、福田担当記者を命じられて戸惑った。その頃、私は前尾繁三郎氏に惹かれている。前尾氏に福田担当になると言ったら、福田氏と大蔵省に同期入省した仲間だと言って快く送り出してくれた。
とはいうものの気が進まないので、福田邸に挨拶回りするふんぎりがつかないでいた。親しかった毎日新聞の江口宏氏に酒を飲みながら愚痴っていたら「よし、ジョウさん。福田の家に行こう」と誘ってくれた。毎日の車で福田邸に行ったら正面の戸が固く閉ざされている。呼び鈴でも押すかと思ったら、江口氏はスルスルと石塀をよじ登りだした。
「ジョウさん!何をしている」と塀の上から声を掛けたと思ったら、彼は庭に飛び下りた。仕方がないので私は石塀にしがみついてよじ登った。玄関に明かりがついていて、江口氏が呼び鈴を押すと三枝夫人が現れ「江口さん、またなの?」と笑った。
どうやら江口氏は石塀をよじ登る常習者だったようだ。奥の部屋で四方山話をしていたら福田氏が帰宅した。福田氏に紹介して貰えるとばかり思っていたら「さあ、帰ろう」と江口氏は立ち上がる。怪訝な顔をする私に「なに、野沢(福田邸)からは特ダネなし!だよ」とさっさと帰り支度をした。
玄関を出たところで「明日、多摩川の川原で早朝ゴルフをしよう。カミさんも来るよ」と言った。翌朝、河川敷のゴルフ場に行ったら、三枝夫人が自分でマイカーを運転して、トコトコやってきた。
「ご飯はまだでしょう」と言うから頷いたら、よしず張りのおにぎり屋に連れていかれた。魔法瓶に入った麦茶をご馳走になったが、これが縁で福田担当記者になったのだから、奇妙なものである。しばらくして三枝夫人はゴッドマザーだと分かった。飾らない人柄に惹かれた。
五年間の北陸勤務が終えて帰京した夜、三枝夫人から電話が掛かってきた。「主人が会いたがっているわよ」。翌日、赤坂プリンスホテルの別棟に建てられた清和会事務所の奥の院で福田氏と会った。隣の部屋に安倍晋太郎氏がいて千客万来、福田氏の部屋はひっそりとしていた。
三枝夫人はすでに九十五歳。しばらくお会いしていない。横手征夫氏とは親しかったが、兄の福田康夫氏とは、すれ違いで会ったことがない。一度、江口氏と連れだって二十歳年上のゴッドマザーに会おうか、と思うのだが・・・。それも千客万来の野沢が静かになってからのことである。

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