2593 「政治主導」の勘違い 花岡信昭

内閣支持率の急落で自民党内が浮足立っている。こういうときには存在感を示すチャンスとばかりに派手な動きをする議員が出るもので、やたら目立とうとするから麻生太郎首相の足を引っ張ることになる。
麻生首相は「党務」に疎い。国会対策や法案形成といった党内の仕事をあまりしてこなかった。そのせいか、どこをどう押せば党内がまとまるか、といった感覚が乏しいようだ。
小泉純一郎元首相も似たところがあったが、高い支持率をバックに剛腕秘書官が政官界の調整を進めた。麻生首相の場合、党内を黙らせるだけの支持率もなく、周辺の「参謀」たちの力量に相当の落差があるように見える。
たとえば、消費税の3年後引き上げを打ち出したが、党内で調整した形跡はまったくない。首相がやみくもに方針を打ち上げれば「政治主導」が貫徹されると思っているのだとしたら、これはとんでもない間違いだ。
内閣と党の政策決定システムの二元化をどうするか。これが政治改革の重要なテーマだった。「党高政低」から「政高党低」への転換が求められた。
同じ議院内閣制の英国では、党幹部がごそっと内閣に入るから、政策決定は一元的に進められる。日本では副大臣や政務官などの制度が導入されたとはいっても、政策決定の一元化には程遠いのが現状だ。
したがって、麻生首相の意欲は買うとしても、党から浮き上がった次元で政策の大方針をポーンと出したところで、リーダーシップの証明にはならない。逆に求心力を減殺させることになる。
政治は生身の政治家が行っているのだから、それぞれの打算もあれば感情も働く。党内の枢要なポイントを押さえながら調整工作を進めないと、現実の政治にはならない。
重要な政策方針を打ち出すのなら、側近の何人かが手分けして党内の要人に事前に伝え、首相自らが何本か電話をかける。その段取りが欠けている。だから、党内が冷ややかに見ることになる。「当然、オレに話があっていいはずだが、まったくなかった」という思いの人が増えると、党内に不完全燃焼の雰囲気が満ち、政権の党内基盤にガタがくることになる。
麻生首相は1年で退陣した福田康夫前首相に代わり、「選挙のカオ」としてのキャラクターが買われて総裁選圧勝を導いたのではなかったか。
あのときの高揚感が党内から消えた。これでは「政低党低」だ。
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