2610 田中六さんが生きていたら・・ 古沢襄

麻生太郎首相の夫人は故鈴木善幸元首相の三女・千賀子さん。総理大臣のお嬢さんなので”お高い”と思われがちだが、どこにでもいる”小母さんスタイル”で通す気さくな人柄だから選挙区の評判がいい。選挙区の福岡県飯塚市は九州で最大の炭坑町だったから、気の荒いことで有名なところだった。お高くとまっていたら反感を買う。
時々脱線する”麻生節”だって、柄の悪い炭坑夫たちにもまれて出来たキャラクターといえる。33歳で太郎さんと結ばれた晩婚の千賀子さんも、最初は戸惑う日々だったという。選挙になると、太郎さんに代わって長靴、ジーパン姿で地元を走り回る。麻生財閥の御曹司の奥さんという気振もみせない。「うちの実家は魚屋さんだからね」・・・二人の子供たちも地元の小学校に通わせた。
太郎さんと千賀子さんを結びつけた人は日経新聞の政治部長から政界に転じた田中六助氏。池田内閣が出来た頃、東京・信濃町の池田邸に番記者が屯する二階建て粗末なバラック小屋が出来た。夜になると目のギョロッとした色の黒い人物がサントリーの黒を片手にやってきた。
「さあー飲め」・・・池田の秘書にしては横柄な物言い。日経の池田番がやたらと緊張している。「何だ、あの男は・・・」と聞いてみたら、今は落選して池田のところにいるが、ついこの間まで怖い政治部長でシゴかれたという。九州は筑豊炭田で有名な福岡県田川の生まれである。
この地を流れる遠賀川沿いの住人を地元では「川筋者(かわすじもの)」と言って、その気の荒さと侠客めいた気性が有名であった。”六さん”はまさに典型的な川筋者として育った。
国会議員になってから池田派の大平正芳氏を担いだが、総選挙の最中に大平首相が急死。選挙は自民党の圧勝に終わったが、後継首相の選出で”六さん”は持ち前の行動力を発揮して、岸元首相、田中角栄元首相を説得して、一気に鈴木善幸氏を担ぎ出した。
その田中政調会長が「麻生くん。今度、赤十字の慈善会があるんだが行かないか」と誘った。先輩の言うことだから、太郎さんも断るわけにいかない。慈善会のパーテイに出たら鈴木千賀子も出席していた。
太郎さんと千賀子さんが交際する様になったら、”六さん”はすかさず「どうだいそろそろ結婚しては」・・・この川筋者はなかなかの仕掛け人でもあった。桜田武元経団連名誉会長の仲人で二人はめでたく結婚する。もっとも結婚当時に太郎さんは落選中で、新居は地元・福岡県飯塚市に構えた。
支持率低下に悩む麻生首相だが千賀子夫人は「男はやせ我慢」を口癖にしていると洩らす。心のどこかで糖尿病が悪化して62歳の若さで急逝した田中六助氏が生きていたらと思う日々なのかもしれない。
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