2674 家庭内「年越し村3丁目の夕陽」 平井修一

小生は昭和26(1951)年生まれで、家にテレビがやってきたのは小学6年生、38(1963)年頃だと記憶している。普通の家としては遅いほうだが、父は隣の本家に力道山(三菱ダイヤモンドプロレス)を見に行っていて、小生も時々一緒に行ったから、テレビは買うまでもなかったのだ。買ったのは時流に流されたためである。
中学生のころ、学校から帰ると1時間ほど、テレビを見た。「ララミー牧場」「ローハイド」「拳銃無宿」「アンタッチャブル」「コンバット」、そして「パパ大好き」。
「パパ大好き」は強烈な印象を残した。当時のアメリカにはすでに「専業主夫 」がいたのだ。検索したら次の記事があった。
<「パパ大好き」(MY THREE SONS)フジTV 1961年5月~1963年6月男やもめのパパと3人の息子、そして「チャーリーじいちゃん」という男所帯のダグラス家。生意気ざかりの息子たちに、パパが右往左往します。主演はフレッド・マクレー>
<MY THREE SONS a huge hit and a cornerstone of the CBS lineup in the 1960s. With 380 episodes produced, it is second only to The Adventures of Ozzie and Harriet as television’s longest running (live-action) family sitcom.>
1960年代の画期的な大ヒット作だったが、小生が気に入ったのは母親代わりに家事一切をこなす「チャーリーじいちゃん」。60歳代みたい。主人公のパパの(多分亡くなっただろう)奥さんの親だったようだ。
「チャーリーじいちゃん」は母親代わりに子どもたちの世話をし、相談にも乗る。そういう変則的な家庭が「3丁目の夕陽」の昭和30年代にすでに米国にはあったのだ。
「専業主夫 」というのは新鮮な驚きで、日本ではそれはなかった。それに近いものに「髪結いの亭主」というのがあったが、半分蔑(さげす)まれ、半分羨ましがれた。ジゴロ、ヒモの類で、家事はほとんどしなかったようだ(女中さんを住み込みで安く使えた時代ということもある)。
今、我が身は求職30連敗の「失意のどん底」で、家では専ら家事を担当する「チャーリーじいちゃん」、専業主夫である。もう来月で失業保険の給付も終わる。「家庭内年越し村」だ。いかにせん。あせるわなあ。いらいら・・・
「アンタ、もう就職なんていいよ、ばあちゃんの世話と主夫をやってよ、アタシも仕事に専念できていいからさ」
カミサンが引導を渡す。捲土重来(けんどちょうらい)を期して今は蟠踞(ばんきょ)するしかないか、と「チャーリーじいちゃん」ならぬ「修一ジイジ」はなにやら我が身の「3丁目の夕陽」を見る思いである。
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