福田赳夫元首相は旧大蔵省の主計局の出である。池田内閣の高度経済成長政策の批判者として安定経済成長路線を唱えた。福田氏の経済路線は多分に精神論が根底にある。急テンポな成長政策によって、国民所得は倍増するかもしれないが、それに取り残される老人など年金生活者が苦しめられるという立場をとった。
池田路線を継承した田中首相は、さらに成長路線をばく進して日本を世界第二の経済大国に導いた。一億総中流意識を持つ日本社会が生まれたが、福田氏は「田中路線はカネ・モノ政治で破綻する」と一層、高度成長路線を批判した。
これより先、池田内閣を引き継いだ佐藤内閣において、福田氏は蔵相として安定経済成長の舵取りをしている。この時に江戸時代の経済政策を引き合いに出して「高度成長は田沼意次政治。私は徳川吉宗の節約政治が正しいと思う」とよく言った。
だが、田沼政治は賄賂政治と指弾されたが、新田開発など積極的に経済全般のパイを拡大した面がある。江戸の町民は賄賂政治に反発して”田沼悪政”と口を揃えて、吉宗の肩を持った。今の言葉でいえば、吉宗政治は縮小均衡の節約政治といえる。
”贅沢は敵”という吉宗政治は末期には、息が詰まる節約政治として江戸町民の離反を招いている。経済は生きものだから、どちらが正しいと決めつけるわけにいかない。経済については門外漢だった河野一郎氏は”尺とり虫”経済という批評を池田内閣当時に言ったという。
尺とり虫は目一杯、身体を伸ばして前に進み、次は目一杯、身体を縮める。高度成長の後には、目一杯、身体を縮める縮小均衡の経済が必要になるという批評である。これを聞いた前尾繁三郎氏は「河野さんは、うまいことを言う」と感心していた。
田中政治の帰結としてバブル経済が破綻して、日本経済は深刻なデフレ不況に陥った。高度成長の山が高かっただけに、不況の谷は深く、長期にわたった。財政面でも国の収入が収縮して、支出を賄うのが困難になる事態を招いている。
この時に福田氏は「国民が借金をするのではなくて、国が借金する」と名文句を吐いて国債の増発に踏み切った。国債の増発は長期にわたる政府投資を賄う手段として、単純な”借金”ではないという発想であった。いわば尺とり虫が目一杯、身体を縮める時の政策的な便法という考え方である。
しかし、その後の政権はこの便法に依存し過ぎた観がある。国債発行額はうなぎ登りに増えて、将来に禍根を残すことになった。
民主党政権は、自民党政治とは違う”国民生活が第一”を政策課題にして、貿易立国政治から内需拡大の政策転換を掲げている。といって貿易立国を捨て去るわけにはいかない。二兎を追う困難な道が待ち受けている。”国民生活が第一”という以上、それに伴う財政支出が必要になる。
藤井財務相は旧大蔵省の出である。いうなら財政規律派だから国債発行額が野放図に増えることを抑える立場にある。民主党のマニュフェストとて抑え、自民党が残した補正予算の執行を停止して、無駄を省いて財源を求める手法をとった。仕分け人劇の陰の役者は藤井財務相という見方は当たっているのではないか。
しかし無駄を省いてマニュフェストの財源に充てるといっても限界がある。財源を求めるには増税か国債増発しかない。消費税の増税は内閣の命取りになるから国債増発しかない。
亀井氏は森内閣の政調会長として拡大経済路線を推進した立役者だったから、思い切った財政出動をする必要性を唱える。一時的に国債の大幅増発になっても景気が回復すれば、日本経済が活況をとり戻し、法人税収入が増えて国庫が潤うという考え方に立つ。
これに対して菅副総理は「財政出動が大きければ大きいほどいいなんていうのは恐竜時代」と亀井氏を当てこする。藤井財務相や仕分け人劇を演出した仙谷由人内閣府特命担当大臣も同じ考えをとる財政規律派。
だが菅・藤井・仙谷トリオに欠けているのは成長戦略がまだ描けていない点にある。子供手当が成長戦略というのは寂しい。経済の先行きが不透明なままだと、子供手当の財政出動が、そのまま消費の拡大にならず貯蓄に回る可能性すらある。
菅、亀井の対立は、成長戦略なき財政規律派と、恐竜時代に逆戻りと揶揄された財政出動派の政策論争という面がある。この論争は本予算の編成過程でも現れるであろう。単純な経済対策での口論でないから、根は深く、怨念の田中・福田論争が再燃する可能性を秘めている。
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