5777 ボーア戦争とオランダ贔屓 古沢襄

14日にヨハネスブルクで行われたワールドカップ・グループEの試合では、オランダがデンマークを2-0で下し、白星スタートを切った。・・・十数年昔の話だが、ロンドンでロイター通信社の幹部と食事をした時の話である。
「大英帝国が戦争に負けたのは、太平洋戦争とボーア戦争だけだ」と酔いもあったのか、ロイター幹部氏は笑い顔で言う。英国人が太平洋戦争で日本に負けたと言うのは、太平洋艦隊のプリンス・オブ・ウエールズ、レパルスを日本の航空攻撃で撃沈され、香港、シンガーポールを失ったことを言うのだが、南アフリカの植民地化を争った二次にわたるボーア戦争を忘れないのは驚いた。
ボーア戦争はワールドカップが開催されている南アフリカの大地で、”アフリカーナー”とよばれたオランダ系ボーア人が、一八八〇年十二月十六日、ポール・クルーガーを司令官として大英帝国に宣戦を布告した事件。
一七世紀ごろから南アフリカにオランダ系移民が入植、その子孫である人たちをボーア人と称している。一八一五年のナポレオン戦争で勝った英国は、オランダ領だった南アフリカの「ケープ植民地」を併合したのだが、英国の支配下に入ることを嫌ったボーア人は、はるか北方に移動して南アフリカの内陸部に「トランスバール共和国」と「オレンジ自由国」を創った。
最初の紛争は英国人の「アフリカ浪人」が起こした軍事蜂起。これは三日間でボーア人政府によって鎮圧された。斜陽の大英帝国にとって、アウトローが起こした軍事蜂起といっても、惨めな敗北は容認されるものではない。世論も沸騰して、大英帝国はブラー大将麾下の三個師団八万の英国軍を南アフリカに派遣した。
これに対してボーア人たちはカーキ色の農作業服姿で抵抗、ゲリラ戦を展開して、英国軍の軍服が鮮紅色であったため、ボーア人狙撃手の格好の標的となった。イギリス陸軍随一の猛将といわれたブラー大将は、連戦連敗の責任をとって更迭、イギリス本国はあたかも全国民が喪に服するような暗い気分に覆われた。
第一次ボーア戦争、第二次ボーア戦争の長い激戦の末、一九〇二年になってようやく「トランスバール共和国」と「オレンジ自由国」は敗北し、大英帝国に吸収された。
この歴史があるから、南アフリカのオランダ贔屓は根強い。オランダ・イギリスの試合でもあったら、観客席はオランダのオレンジ色の一色になるだろう。次の試合は日本・オランダ戦、外野の応援が気になる。
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