「新聞も昔はおっかなかったが、今はおっかなくないじゃないか」大勲位中曽根康弘氏が5日の産経紙上で阿比留瑠比記者相手に言いたい放題に語った「単刀直言」の最後にこう喝破している。
新聞が政治家に恐れられていない!とは。もはや「社会の木鐸(ぼくたく)でなくなったのでは、極言すれば「新聞はもはや無用の長物」と化したのではないか。
中曽根さんの指摘を俟つまでも無く、最近の新聞は読んでスカツとする話題や前につんのめさせるようなニュースがない。政治関係でいえば明らかに単独会見で取ってきたようなネタがない。朝日も毎日も読まなくなって10年以上経つ。
中でも朝日はリクルート事件では徹底した「調査報道」を展開。遂に竹下内閣を総辞職に追い込んだものだ。しかし、今日では政治家の生の声は一つも無い。発行部数が減るのは当然だ。
NHKで短期間ながら政治記者をした経験からすれば、政治部の記者たちは既に政治に対するファイトをなくしている。それが証拠にベタ記事が全く無い。
雑報といってベタ記事は、政治家の生の声を伝えるもので、マンツーマンでなければ獲得できないもの。それらを専門家がつき合わせて読めば、政治の大きな流れを突き止めることが可能な情報なのである。
あるのは「会見」を基に書いた薄っぺらな記事でしかない。これはどうも新聞がテレビのあとを追うようになったけっかではないか。
テレビは絵(映像)ガナケレバモノを語れない。政治家にマイクを突きつけ、後ろからカメラが撮影する。それを追うようにして新聞記者も取り囲む。マイクを突きつけられた政治家は一応の事は言う。この取材形式は「ぶら下がり」と称するようだが、発言に辻褄が一応合っていれば、マイクもカメラも引き下がる。
一寸待って欲しい。テレビが去っても新聞は引き下がってはいけない。ぶら下がり取材で書かれた新聞を読者は読まない。新聞はおっかなくないと嘯く政治家は相手に本心を語っていないからである。
若い頃、NHKで後に会長に上り詰める島 桂次に良くいわれたものだ。「満座の前で本心をぶちまける政治家など絶対にいない。オフレコでも複数の記者相手には本心を言わない。漏らされたら誰が漏らしたか分からないから、本心は言わない」。
「政治家が本心を言うとすれば、それは単独会見(サシ)のときだけだ。サシを求めて俺は池田首相を蚊帳の中まで追って行ったものだ」。
田中角栄は記者クラブでは饒舌だった。そのかわり嘘を平気で言った。だから会見の後、必ず寄るトイレについて行き、並んで用をたしながら「本当はどうなの」と聞くと「実はね」と本心を打ち明けた。島が言った。嘘をつくと政治家は小便をしたくなる。
実のところ、政治の取材現場を離れて35年が経つ。だから実情は全く不案内。老人の繰言に過ぎないかも知れない。
中曽根さんは阿比留さんに嘆いている。「今は与野党を問わず人材がいないね。学術界にも財界にもいない」。阿比留さんが「残念な時代ですね」といったら中曽根さんが嘯いた「新聞も昔はおっかなかったが、今はおっかなくないじゃないか(笑い)」となっている。
杜父魚文庫
8891 おっかなくない新聞 渡部亮次郎
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