■科学ジャーナリスト・馬場錬成の寄稿
今年のノーベル賞生理学・医学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授の受賞理由は「寄生虫病に対する新しい治療法の発見」だった。
しかし、その半生を追うと、「日本のレオナルド・ダヴィンチ」とでも呼びたくなる多彩なタレントの持ち主であることがわかる。その横顔について、「大村智 ―2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)という著書もある読売新聞社OBで、科学ジャーナリストの馬場錬成氏に寄稿してもらった。
■メルク社の共同で開発した抗生物質
ガーナの現地調査へ行ったとき、大村先生を取り囲んで歓声をあげるアフリカの子供たち。イベルメクチンの開発者と知り、あっという間に取り囲んだという。
オンコセルカ症(河川盲目症)を引き起こす線虫。これが網膜の中に入り込み、白内障や角膜炎を起こして盲目にさせる。
2015年のノーベル生理学・医学賞の受賞に輝いた北里大学特別栄誉教授の大村智先生は、受賞理由になった熱帯地方の感染症の特効薬を開発しただけでなく、研究者として実に多くの「顔」を持っている。まず、研究者としての顔から紹介したい。
受賞業績であるオンコセルカ症(河川盲目症)は、ブユが媒介する寄生虫病であり、網膜に入り込んでしまうと多くが失明してしまう。大村先生は、この抗生物質の元になる化学物質を、静岡県川奈のゴルフ場近くの土壌から発見したバクテリアから抽出した。
細菌が身を守るために産生する化学物質の中には、人間に有用なものが少なくない。こうした化学物質を薬剤として開発したものが抗生物質であり、大村先生が発見して開発した薬剤も抗生物質である。開発する際には、アメリカのメジャーな製薬企業のメルク社と共同で行った。
今回、ノーベル賞の共同受賞者となったアメリカ・ドリュー大学のウィリアム・キャンベル博士は、大村先生と共同で研究開発をしたメルク社の元研究部長である。大村・キャンベルのコンビが、ノーベル賞を射止める成果をあげたのである。
■産学連携のはしりだった
大村先生がメルク社と共同で研究する契約を結んだのは、1973年3月である。日本ではまだ、産学連携が具体的に始まる前の段階であったが、アメリカではもう始まっていた。
大村先生は当時、アメリカのウエスレーヤン大学に留学しており、北里研究所・北里大学に帰国する際にメルク社と共同研究、つまり産学連携の契約を結んでいた。その契約内容は、アメリカでも「大村メソッド」と呼ばれている独自の内容であり、次のような契約だった。
■大村先生がメルク社と契約した内容の要旨
*北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。
*北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対しメルク社は年間8万ドルを向こう3年間支払う。
*研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し二次的な特許権利についても保持する。
*ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。
*特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートでメルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。
この契約で特長的なのは、新物質を発見した場合の特許の出願は、メルク社が担当することである。特許は出願者が自動的に権利者になるわけだが、普通は発見した大学の研究者が権利者になる。しかし大村先生は、特許出願して権利化し、管理する手間を手馴なれているメルク社に任せた。
ただ、その特許で生まれた製品があると、その製品の売上高に応じてロイヤリティ相当分を研究費として北里研究所に還元するという内容だ。これが当たった。
ダニに食われて見る影もなく衰弱した牛も、イベルメクチンを1回投与するだけで完璧に退治することができた。
大村先生とメルク社が共同で開発した抗生物質は、当初、動物抗生物質だった。牛や馬や豚など家畜動物に感染するダニ、寄生虫などを退治する薬剤があれば、畜産量をあげることができる。それは人類貢献にも結びつくものだ。
大村先生には、ひとつの重要な思惑があった。家畜動物に投与して効くかどうかを見ることは、それ自体、動物実験である。もし効く薬剤であれば、人間にも効く可能性がある。つまり人間への臨床実験は、非常に早くなるはずだ。
大村先生とメルク社が共同で開発した動物のダニや寄生虫を退治する動物抗生物質は、次々と効果がある薬剤となって市場へ出されていく。その一つがイベルメクチンだった。
■イベルメクチンの分子模型を前に説明する大村先生
たとえば牛の皮膚に寄生するダニは、牛の全身に蔓延まんえんして牛は見る影もなく衰弱してしまう。しかし少量のイベルメクチンを1回投与するだけで治ってしまう。
犬の心臓などに寄生する犬糸状虫(フィラリア)である。このフィラリア症も蚊の媒介で感染を広げていくが、イベルメクチンを犬に投与すれば感染から守ることができる。
こうした動物抗生物質は、いずれもヒット商品となり、メルク社は動物抗生物質の売り上げで、20年間世界トップを走り続けることになる。その売り上げの数パーセントは、契約によって北里研究所に還元されてくる。
こうして産学連携の成果として北里研究所に入ってきたお金は、総額で約250億円にもなった。
■人間にも効いた動物抗生物質
動物抗生物質は、人間にも感染して悩ませているダニや寄生虫病にも効くはずだ。メルク社は早速、臨床実験を開始して安全性を確認し、人間への抗生物質として世に出した。
その代表的な薬剤がオンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬になった。これはアフリカや南米の熱帯地方で蔓延し、予防や治療法が見つからなくて困っていた感染症だが、イベルメクチンをたった1回投与するだけで予防にもなるし治療にもなる。
WHO(世界保健機関)もこの薬剤に注目し、メルク社に無償供与を持ちかける。メルク社と大村先生は、人類貢献のために無償で供与することに同意し、年間3億人に投与されることにつながっていった。
大村研究室で発見された微生物産生の有用な化学物質は、イベルメクチンにとどまらない。脂肪酸の生合成を阻害するセルレニンをはじめ、リン酸化酵素の阻害剤ラクトスタチンなど重要な化学物質を発見している。
こうした薬剤の多くは、がん研究などの現場で使用される酵素も多く、大村先生は基礎研究の現場を支える薬剤の開発者としても高く評価されている。これまで大村先生らが発見した化合物は500近くあり、そのうち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬などとして実用化されている。
■研究を経営する「敏腕経営者」の顔
大村先生は優れた研究者であるが、経営難でほとんど倒産しかかっていた北里研究所を見事に立て直した経営者としての顔がある。
北里研究所の監事となった大村先生は、経営内容を見る立場になった。経理内容を見ると、すでに破綻していることが分かる。それは外部の専門家に密ひそかに持ち込んで見てもらったところ、破綻状態だと宣告される。
大村先生は、会計、マネジメントなどの本を片っ端から購入し、経営学を勉強した。そして外部の会計専門家、経営者らに助言を求めながら勉強した。読んだ本は100冊以上になった。
こうして経営者の知識を身に着けた大村先生は、無駄を省き効率いい経営方針を提言し、北里研究所もそれを受け入れて大村先生を理事、理事長へと登用していく。こうして赤字体質だった北里研究所を立て直し、次の仕事として埼玉県北本市に新しい病院建設を実行した。
土地は大蔵省から払い下げてもらい、ここに440床を持つ北里研究所メディカルセンター(KMC)病院を建設した。土地の払い下げから具体的な建設計画、地元からの同意取り付けなど大村先生の活躍した内容を聞くと、研究者というよりも不動産屋の顔であったり経営コンサルタントの顔であったりする。
病院建設でも、大村流が出てきた。絵画に造詣が深く絵のコレクターとしても有名になっていた大村先生は、病院に絵画を展示し来院者や入院患者、そして事務職員を癒やす「美術館病院」にすることを計画する。
自分のコレクションだけでなく、全国から展示する絵画を募集した。多くの名画が無償で提供され病院の壁面には、素晴らしい絵画が並ぶことになる。筆者も何度かこの病院を訪問しているが、有名な作家の名画も多数、壁面を埋めている。
大村先生の計画通り、美術館病院として有名になっていく。世界にこのような病院がないことは、事前に大村先生が調べてあった。常に独創的なアイデアにこだわる大村先生らしい企画の実現であった。
■美術と科学を結びつける
大村先生の絵画の鑑賞眼、美術の知識と論評はプロの領域である。その上、経営者としてのセンスもある。ここに目を付けたのは女子美術大学であった。
大村先生が北里研究所の理事、理事長時代に女子美術大学は、理事を依頼する。
最初、辞退していた大村先生だが、女子美術大学の懇請に根負けして引き受けると、生来の集中力を発揮して、たちまち女子美術大学の企画などにアイデアを出し、ついには理事長も委嘱されるようになる。
多忙な大村先生は、途中で理事長を辞退して辞めるが、女子美術大学は数年後に懇願して再び理事長を引き受けてもらう。こうして通算14年間も女子美術大学理事長を務めることになる。いまも女子美術大学の名誉理事長になっているが、このような化学研究者はいない。
また大村先生は、故郷の山梨県の科学技術振興のために、1995年に率先して基金を出し「山梨科学アカデミー」を創設した。セミナーや講座を開いて科学技術の普及と人材育成を手がけている。
児童・生徒を対象にした科学賞も創設している。山梨県の恵まれた自然の中から優れた科学者が生まれることを切望しているのである。
さらに生まれ育った韮崎市の実家の隣接地に、韮崎大村美術館を建設して韮崎市に寄付している。この美術館は、女流作家の作品を展示している日本で唯一の美術館であり、上村松園、伊藤小坡、小倉遊亀、片岡球子、堀文子らの素晴らしい作品がずらりと並んでいる。
美術館の隣には温泉があるが、これは大村先生が命じて掘った温泉である。美術館を見学したあと、温泉に入ってゆっくりしてもらおうという心遣いである。さらに温泉の隣においしい蕎麦そば屋も作った。
■卓越している人材育成の取り組み
大村先生の最大の強みは、卓越した人材育成の手腕だ。大村研から輩出した教授が31人、学位取得者は120人余りという数字は、並みのものではない。おそらく日本ではいないのではないか。
学生、研究者らに対し公平で誰にもチャンスを与え、意欲を見せれば支援を惜しまない。ただ大村先生のお弟子さんたちは、研究に対する指導は厳しいと口をそろえる。
「人の真似まねはするな」が大村先生の口癖であり、「真似をやったらそれを超えることはできない」と言う。また「人のためにやることをやれ」ということもよく口にするという。これは大村先生が祖母から叩たたき込まれた教育訓から来ているようだ。
イベルメクチンを発見した時に化学物質の選別などで貢献した高橋洋子・北里大学元教授は「大村先生は常にチャンスを与えて下さいました。論文を出す時、ポジションの異動の時、学会賞等の応募を持ちかける時。それは挑戦しなさいという意味でした」と語っている。
高橋先生は、北里衛生専門学院の2部で学びながら昼は大村研の研究補助員として働いていた。大村先生は、積極的に仕事に取り組み菌株を分離するスキルも磨いている高橋先生を認めると、博士学位の取得を持ちかける。
高卒の学歴だった高橋先生はすぐに大学卒の資格を取り、北里大学医療衛生学部で保健学博士を取得する。それは大村先生の励ましと支援があったから実現できたのである。
また高橋先生がアメリカに留学を希望したときも、大村先生は積極的にアメリカの大学に働きかけ、実現の道筋をつけてくれた。これもまた高橋先生のやる気を伸ばそうとして積極的に動いてくれたから実現できたことだった。
■早逝した奥様とは同志の間だった
大村先生の妻・文子さんは、16年前、60歳のときにがんで亡くなった。研究者の妻になりたいと言って大村先生と結婚した文子さんは、大村先生の研究生活を陰から支えた最大の支援者であり、時には研究者として同志のような存在でもあった。
大村先生は、「研究者として一番大変だったときに苦労して私を支えてくれた最大の理解者だった。ノーベル賞受賞の知らせが来た時、真っ先に心の中で文子に報告した」と記者会見でも語っていた。
■馬場錬成( ばば・れんせい )プロフィル
1940年 東京都生まれ。東京理科大学理学部卒業後、読売新聞社入社、編集局社会部、科学部、解説部を経て論説委員(科学技術政策、産業技術、知的財産権、研究・開発間題などを担当)。
2000年11月読売新聞社退職。元東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授。特定非営利活動法人・21世紀構想研究会・理事長、科学技術振興機構(JST)中国総合研究交流センター・上席フェローなどを歴任。著書に、 「大村智 ―2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社) など多数。(読売)
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>

コメント
いいお話ですね。静岡のゴルフ場の菌が有効だたのも良い!先にノーブル賞をとった下村 脩さんを思い出しました。「光るクラゲ」ばかりを船いっぱい採取していた。