しかし、東アジアにあってはひとつだけ例外があった。本来なら服属すべき中華帝国の冊封体制(さくほうたいせい)への参加に気乗りうすな国がただひとつだけあった。日本である。 「国民の歴史」 西尾幹二
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私の持っている本で一番付箋・書き込みが多い本が「国民の歴史」です。出版当時は内容が凄すぎて頭が付いていきませんでした。しかし「時に学んで之を習う」と内容の素晴らしさに驚くのであります。小沢天皇は歴史が好きだと韓国でいいましたが、偽物を勉強していてはお話になりません。慶応の大学の恥であります。
*漢意(からごころ、唐心の意)―――本居宣長が提唱した思想概念・批評用語の一。日本古来のはかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ素直な態度に対して、中国文明に特徴的であると宣長の考えた、物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。(Wikiペディア)
以下、引き続き「国民の歴史」より転載。
■日本の主張
朝鮮は最も熱心に冊封体制に参加した国であり、貿易の利益のためにしぶしぶ参加したタイのような国もある。しかし、日本は古代から中華帝国と対等、ないしそれより上位であるとかねがね主張していた。
■別体系の文明
徳川時代に自立的精神はことのほか強く復興した。林羅山(はやしらざん)は明宛(みんあ)ての書簡で、日本と中国という二つの中心を持つ世界像をあえて示した。
つまり、相手国が認めようが認めまいが、日本が中国とは別体系の「文明」であることを主張し、また実際にそのように行動したのである。
かくて、明が滅亡したあとには清と国交をかわす意志さえ示さなかった。日本の中国に対する対決意識は、対決からむしろ優越へと転じた。
異民族に何度もくりかえし中原(ちゅうげん)を奪われる漢民族(かんみんぞく)への軽蔑感さえ芽生(めば)えた。華夷秩序(かいちつじょ)の「華」の中心は疑うべくもなくすでに日本であり、もはや中国ではありえないとの確信が高まった。
■今と逆
それに輪をかけたのが「信牌(しんぱい)」貿易の成功であった。新井白石(あらいはくせき)はかつて明の「勘合符(かんごうふ)」とそっくりの信牌(しんぱい)という割符(わりふ)をもつ中国船にのみ貿易を許すという、立場逆転の手を使った。
信牌には日本年号を用い、相手は俗称「唐」で通し、清朝はその屈辱に耐えた。
しかし、この日本人の気迫が幕末を救った。
中国とはまったく別体系の 「文明」であることを知っていたがゆえに、ヨーロッパというもうひとつの別体系の「文明」の動きがかえってよく見えるということが、日本には起こりえたといってよいであろう。
■柔軟且つ機敏
しかも幕藩体制は中国や朝鮮のような官僚(かんりょう)社会ではなく、どこまでも武家社会でありつづけていた。
だから、ヨーロッパの軍事力の手ごわさにいち早く気がつく敏感さを持っていた。中国とは別体系であったがゆえに、中国からは自由であり、立ちすくむ中国を置き去りにして、ヨーロッパから素直に学ぶという幕末の方向転換が可能になった。(転載 終)
■精神の安全保障
小沢天皇・鳩山嘘吐(うそつき)の出現で、日本国の歴史がひっくり返りそうであります。第二次大戦後の英国に似てきました。国家の中枢・教育界に左翼共和制主義者が浸透して、国の中心から融解しそうな状況です。
内閣府に男女共同参画府があり、ここより発する公共事業は年々増大し、教育界はフェミニズムの影響を抵抗もなく受け入れております。
吉田松陰も「講孟箚記」のなかで書いている通り、”精神の安全保障”が重要で最初であります。「黒い小鳩政権」よ”焼き鳥”にするぞ! (建国記念の日に思う)
資料:【そよ風】大和心を大事にする人々が各地で反撃
http://blog.livedoor.jp/momotarou100/archives/51336514.html
お勧めサイト
・杜父魚(かじか)文庫ブログ
「日本人のルーツ・ブリヤート人? 古沢襄」
http://www.kajika.net/wp/archives/385
・「日本解体阻止!全国総決起集会報告Part3」
http://www.youtube.com/watch?v=FpaH854PwbY
*13分30秒ごろの杉並区山田区長のお話に注目
・新日本学 『新江戸学(漢意に支配される日本)』 其ノ壱
http://www.youtube.com/watch?v=ckrBQp452I4
・「国民自重の心」小泉信三
http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/470460/
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