11915 50年前に始まった日本の「潜在的核武装能力」政策  古澤襄

韓国で核武装論が生まれたのは、朴槿恵大統領の父・朴正煕大統領時代だが、日本も佐藤栄作首相の時代に内閣調査室が日本の核武装の可能性を秘密裏に検討していたと、朝鮮日報が伝えている。
<「核を保有しないとしても、いつでも核開発が可能な潜在能力を保有することは必要」。
1964年12月、日本政府の内閣調査室(現在の内閣情報調査室)は佐藤栄作首相(在任:1964-72)の政策ブレーン、若泉敬氏(1996年没)の報告書を受け取った。東京オリンピック開催中の64年10月16日に中国が核実験に成功したことを受け、内閣調査室は日本の核武装の可能性を秘密裏に検討していた。当時、中国は長距離ミサイルまで開発していた。
東京新聞は26日、故・若泉氏の『中共の核実験と日本の安全保障』という報告書を初めて公開した。
この報告書で若泉氏は「わが国はあくまでも自ら核武装はしないという国是を貫くべき」とする一方で「(核開発に必要な)科学・技術水準および工業力基礎等の総合国力をつねに中共よりも高いレベルに引き上げておく努力を真剣になすべき」「わが国の偉大なポテンシャルを日本国民ならびに中共を含む諸外国にはつきりと認識させ、日本は充分その能力はあるが自らの信念に従つてやらないだけなのだということを内外に明示するためにも、原子力の平和利用(例えば商業用原子力発電や原子力商船の建造から制御核融合研究等に至るまで)に大いに力をそそぐと共に、他方では日本が国産のロケツトによつて日本の人工衛星を打ち上げる計画を優先的に検討するよう提案したい」と主張した。若泉氏は防衛庁防衛研究所の研究員や京都産業大学の教授を務めた。また、佐藤首相の密使として沖縄返還をめぐる対米交渉を担当した。
■核開発の潜在能力を保有
東京新聞は、若泉氏の報告書が「核兵器は持たないが核開発の潜在能力は確保する」という日本の核政策の基盤になったと報じた。
内閣調査室は66年に『日本の核政策に関する基礎的研究』で「プルトニウム原爆を少数製造することは可能」と記した。また外務省は、69年に『わが国の外交政策大綱』という秘密報告書を作り、その中で潜在的核保有能力の必要性を主張した。
日本政府は当時、戦争放棄を宣言した憲法9条、日米安保条約、被爆国という国民感情などの理由から、核兵器の保有は容易ではないだけに、核兵器製造の経済的・技術的潜在能力を常時保有すべきだという結論を下した。
■ノーベル平和賞を受賞し、原発・ロケットを開発
岸信介首相が1957年に国会で「自衛のため核を保有することは合憲」と発言するなど、50-60年代の日本でも、冷戦を活用し核兵器開発論が台頭していた。しかし佐藤首相は、これらの報告書に基づき、67年に「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を発表した。佐藤首相は74年、非核三原則の発表などを理由にノーベル平和賞を受賞した。
しかし佐藤首相は、報告書に書かれたとおり、核保有の潜在能力確保のための政策に力を注いだ。
日本は70年に独自の技術で人工衛星の打ち上げに成功し、71年には高速増殖炉の実験炉「常陽」の建設を始めた。高速増殖炉は、使用済み核燃料を再処理して作った燃料でプルトニウムを大量生産できる原子炉だ。使用済み核燃料の活用を名目に、核兵器への転用が可能なプルトニウムの大量生産研究を本格化させたわけだ。
現在日本は、核兵器数千発分に相当する約30トンのプルトニウムを保有している。
また、コンピューターを用いたシミュレーションによる核兵器の開発・検証実験も可能で、長距離ミサイルに転用できる世界最高レベルの固体燃料ロケットM-Vも保有している。
福島第一原発の事故にもかかわらず、安倍晋三首相が「原発再稼働、高速増殖炉維持」を宣言したのも、佐藤首相の時代に確立した核開発の潜在能力保有という原則に従ったものだと分析されている。
(朝鮮日報)>
杜父魚文庫

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