2006-07

未分類

79 ソースを食べられない 渡部亮次郎

少年の頃、戦争による物資不足から田舎では醤油がなくなったことを書いたら、それじゃソースはどうなのと聞かれて恥じ入った。田舎に昭和10年代、ソースははじめっから無かったから、つい、今でも好きじゃない。だから大阪では、お好み焼きに行く気にならな...
未分類

78 金大中事件を葬った裏金 渡部亮次郎

<金大中事件、韓国政府が関与認める73年8月に東京で起きた金大中(キム・デジュン)氏(後に大統領)拉致事件について、韓国政府の真実究明委員会は、当時の情報機関・中央情報部(KCIA)による組織ぐるみの犯行と断定する報告書をまとめた。近くKC...
未分類

77 藍ちゃんは黒潮系 古沢襄

女子プロの宮里藍ちゃんほど皆から愛されている女性は珍しい。二十一歳になったというが、明るくめげない性格で米国の強豪に混じって頑張っている。チャラチャラ、ナヨナヨしないところが、またいい。両親の育て方がよほど良かったのだろう。日本人の起源を追...
未分類

76 知中派の気迫ある中国論 古沢襄

外務省のチャイナ・スクールへの世論のパッシングが続く中で、上海総領事だった杉本信行さんが出版した「大地の咆哮」が評判を呼んでいる。渡部亮次郎さんが杜父魚文庫ブログに投稿しているので重複を避けるが、共同通信社国際局の河野中国語ニュース室編集長...
未分類

75 壬申の乱と古事記 古沢襄

女系天皇論議で騒がしかった時に「古事記」を読んでいた。古事記は上中下三巻からなっている。私は、神々の夜明けと黄昏の壮大な叙事詩ともいえる上巻を耽読している。中巻は、初代・神武天皇の東征に始まり第十五代・応神天皇まで、下巻は第十六代・仁徳天皇...
未分類

74 古賀政男の祥月命日 渡部亮次郎

7月25日は作曲家古賀政男の祥月命日だった。祥月命日とは一周忌以後における故人の死去の当月当日。正忌。正命日。(広辞苑)。昭和の作曲家にして国民栄誉賞受賞者の古賀政男(こがまさお)は1904(明治37)年11月18日に生まれ、1978(昭和...
未分類

73 パンテイ・ストッキングの効用 古沢襄

八年前に初めてシベリア鉄道に乗った。ブりヤート共和国の首都ウランウデから西に向かい、バイカル湖の西岸を迂回してイルクーツクまで十時間の旅だったが、食堂車から眺めたバイカル湖の夕日が忘れられない。シベリア鉄道というと単調な雪の森林地帯を走るも...
未分類

72 鼻欠け猛将の結城秀康 古沢襄

結城紬は良質の繭を煮て、乾燥した真綿を“つくし”にからませて無撚糸をつくり、藍がめに糸を浸して絞るなど複雑な工程を経て作られる。この地を支配したのは関東の名門・結城氏であった。三つ巴の家紋を持つ結城氏は、朝光の時に治承四年(1180)の源頼...
未分類

71 ネットウヨとネットサヨ 古沢襄

インターネットの2CHが、富田朝彦宮内庁長官(故人)が残した靖国参拝中止に関する昭和天皇の発言をめぐって、真贋論争を繰り広げている。一方、新聞・テレビは押し黙ったまま。「マスコミは怪しからん!」という向きもあるが、各社とも黙殺しているわけで...
未分類

70 中国の真実を語る外交官 渡部亮次郎

杉本信行さん、と言っても知る人は少ない。2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した事件は知っているでしょう。2年もしてから明らかになり、日本中が怒ったらから。このときの上海総領事が杉本さんだった。2004年5月、在上海...