32 サソリ妃に刺されたジンギス汗 古沢襄

ジンギス汗に関する伝説は、あまたあるが、ジンギス汗が西夏の美妃・サソリ妃に刺された伝説が好きだ。西夏はシルクロードにあったラクダの産地。交易で栄えた西アジアの大国であった。西夏文字でも知られる豊かな文明が花開いている。
北アジアや西アジアの歴史に興味を持つ私は西夏の歴史にも興味がある。ところでジンギス汗の女癖の悪さは有名である。「英雄色を好む」というが、並の色好みではない。ドーソンの「モンゴル帝国史」には妃妾五〇〇人とあるが、征服した諸外国から略奪した美女を一人占めしている。「男子最大の快楽は敵を撃滅し、その女と妻たちを抱くことである」とジンギス汗は部下たちに語っている。
妃妾五〇〇人の中で后妃表に載っているのは三十九人。これが正式の后(きさき)だとされているが、それにしてもダントツに多い。元の皇帝はせいぜい五、六人の后しか持たずにクビライ汗の十人が目立った程度である。
ジンギス汗が死亡した原因は諸説があって結局のところ分からない。①落馬説②落雷説③流矢説④熱病説・・・など様々だが、西夏の美妃に刺された傷がもとで一命を失ったともいわれている。
東方の宿敵「金」を攻略するために、ジンギス汗は西の高原地帯にある西夏を攻めた。ジンギス汗が狙ったのは、西夏のラクダ。「金」の攻略戦は長期戦になると予測したジンギス汗は、西夏を攻めて、武器や食糧を輸送するラクダを押さえる必要があった。
西夏軍の激しい抵抗を打ち破り、国都の興慶を陥したのが1225年。西夏王シドルグは捕らえられ、殺されたが、シドルグにはグルベルジン・カトウンという美妃がいた。グルベルジンとはアルタイ山中に棲む大型のサソリの意味である。
「蒙古源流」によるとグルベルジン・カトウンは「光り輝いていて、そのため夜も灯火を必要としない」とまでいわれた絶世の美女だったという。女好きのジンギス汗が見逃す筈がない。この「サソリ妃」を閨に招きいれた。
「ジンギス汗に召されたら、その時こそ、彼を刺して夫シドルグの仇を討とう」と心に決めていたグルベルジン・カトウンは、ジンギス汗を刺して閨を抜け出し、ハラムレン河に身を投げて果てた。西夏の人々はグルベルジン・カトウンの死を悼んで、ハラムレン河を「カトウン・ゴル」(妃の河)と名付けた。「サソリ妃」の話は「アルタン・トプチ」にも書かれている。
刺されて重傷を負ったジンギス汗は、大量のラクダを手中にして「金」攻略戦に出陣したが、出兵の途中で死の床に就いた。1227年8月18日だったというが、訃報が広がるのを防ぐために、柩を運ぶモンゴル騎兵は、途中で出会った人々はすべて殺されたとマルコ・ポーロの「東方見聞録」に書かれている。西夏の発掘作業は進んでいない。中国にとって西夏の地は”中華”から離れた異邦人の住んだところなのだろうか。

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