1014 馬英九をめぐる黒い噂 宮崎正弘

台湾国民党のホープ馬英九(前国民党主席、次期台湾総統候補)の名前が「英」はイギリス。「九」は香港の九龍半島に由来するそうな。
「馬」はおそらくマホメットに由来し、ご先祖様は新彊ウィグル自治区あたりではないか、胡人ではないか、と想像される。
馬英九の父親は馬鶴凌。国民党員だった。
馬英九は1950年に香港の九龍の廣幸病院で生まれ、翌年か、1952年に一家をあげて、台湾へ移り住んだ。最初に住んだのは台北氏の萬華だった。典型の下町で台北の浅草といわれる。
 
龍山寺の近くで、日本人が経営していた病院があった。この病院は付近の赤線のおんな達を見ていたが、日本人が引き上げたため、空き屋となっていた(いまは町の再開発が進み、萬華に昔の面影はないが)。
国民党のマフィアとして知られた杜月笙は、上海を舞台に「大活躍」したチンパン(青幇)の大物。ヤクザを束ねた。
いま上海の准海中路にある「東胡賓館」は、杜月笙の保有していた別荘のひとつ。この豪壮な建物ひとつをみても、かれがどれほどの資産を蒋介石の庇護のもとで築き上げていたか、想像がたやすい。
しかし国民党は内戦に敗れ、蒋介石は台湾へ逃げた。杜は1949年に香港へ逃げ延び、51年8月16日に香港で死んだ。なぜ、蒋介石と行動をともにしなかったか、謎である。
東京新聞編集委員の佐々木理臣(前台北支局長)が現地を調べたところ、杜月笙の墓が台北にあった。場所は台北県汐止市の小学校の裏山で、大きな大理石の墓に蒋介石の顕彰揮毫があるという。遺体を、ここへ運んだらしい。
さて、馬英九が香港から台北へ移住したのが日本人経営の病院跡だったことは述べた。その病院は広大な敷地があったので、何家族も住んでおり、そのなかに杜月笙の第四夫人の一族が住んでいたという証言があると前掲の佐々木氏が言う(『台湾研究資料』47号,2007年10月1日付け)。
じつは、この話、半年以上前に、直接佐々木氏から聞いていた。が、オフレコだと思っていたので、これまで書かなかった。佐々木氏が最近、これを講演で公にしたので、ここにも紹介することにした。(杜月笙は蒋介石のボディガード兼チンパンの大ボス。かれをモデルにたくさん小説を書いたのは伴野朗だった。「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より) 

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