2520 ”尺取り虫”の経済理論 古沢襄

「政治の世界は時計の振り子」と言ったのは前尾繁三郎元衆院議長。この比喩は今の人には通じない。振り子時計そのものが滅多にお目にかかれないからである。私の寝室には電気仕掛けの振り子時計が掛けてある。チックタックと時を刻み、毎正時にはボーンボーンと音を立てて知らせてくれる。
岸内閣で思い切り”右”に振れた日本政治だが、池田内閣で”左”に振れている。だが左に振り切れば、また振り子は右に振れるよ、という話である。池田内閣の次には右寄りの佐藤内閣が出てくると予見していた。
前尾説を今に当てはめると右寄りの安倍内閣の後、自民党リベラルと称された福田内閣が生まれ、その後に安倍氏と良い関係にある麻生内閣が誕生したということなのか。一見、奔放なお坊ちゃん振りをみせる麻生首相だが、本質的には右寄りの体質ということだろうか。それにしても一年刻みの政権では、時計の針も忙しかろう。
「政治の振り子話は分かるが、経済でもこの原則があるのですか?」と前尾氏に聞いたことがある。池田内閣が掲げた”所得倍増”の高度経済成長政策に対抗して福田赳夫さんが安定経済成長政策を唱えて、真っ向から池田政治に批判を加えていた。
池田首相の弟分で影のように寄り添う前尾氏だったから、高度経済成長論を滔々とぶたれるかと思っていた。少し意地が悪い質問となった。前尾氏が幹事長になる直前のことである。
”暗闇の牛”とあだ名された前尾氏は、しばらく沈黙していたが、眠そうな眼を見開いて「政治も経済も同じだよ」と言い放った。その例として”尺取り虫”を持ち出した。経済が伸びる時には目いっぱい身体を伸ばし、不況になれば思い切って身を縮める。
目いっぱい伸ばすのが高度経済成長政策で、思い切って身を縮めるのが安定経済成長政策だ、と経済に疎い政治記者にも分かる解説をしてくれた。「今は目いっぱい身体を伸ばす時期、福田君の安定経済成長政策が必要な時期がいずれくる」
たしかに池田内閣の末期になって過熱した経済状況から中小企業の倒産が目立つと、前尾氏と宮沢喜一氏は高度経済成長政策にブレーキをかける発言が多くなった。バランス論者らしい前尾氏だったが、福田さんとは大蔵省で同期入省の仲。時々夜の席を持って、二人が会っていたのも後で分かった。
近代経済学の世界では、政府が関与しない自由主義経済が正しいとされてきた。
古典派自由主義経済学は利己的に行動する各人が市場において自由競争を行えば、その意図せざる結果として(「見えざる手」)、公正で安定した社会が成立すると考える思想(→アダム・スミス)である。
経済的自由を重視する立場から、英語圏ではEconomic liberalism(経済自由主義)やMarket liberalism(市場自由主義)とも呼ばれる。(ウイキペデイア)
だが世界恐慌の後は、経済自由主義、市場自由主義では世界経済の混乱を乗り切れない。「市場は自身で調整を行う機能を持っており、政府の介入は極力すべきではない」という自由放任主義から政府が関与する計画経済論が力を持った。
一方でソ連はスターリンによる第一次五カ年計画経済に入っていて、世界恐慌の影響を全く受けず非常に高い経済成長を達成している。しかも農業国家から重工業国家への脱皮がダイナミックに進められていた。
ソ連の成功をみて、自由主義経済圏でも計画経済の導入が必要だという論がますます強くなった。いわゆる修正資本主義論の台頭である。
戦前の日本では岸商工相ら革新官僚といわれた人たちは、ソ連の計画経済を日本でも積極的に取り入れる動きが出ている。満州国の産業開発五カ年計画などは非共産圏における計画経済のモデルと言われた。
アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領が修正資本主義に基いたニューディール政策を実施している。自由放任主義の経済理論が衰退して、新しい経済理論、たとえばケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』がもて囃された。
しかしソ連型の計画経済もやがて破綻をみせる。ケインズ理論よりも市場経済主義が力を得て、共産中国ですら市場経済主義がもて囃された。前尾氏に言わせれば、世界経済も経済自由主義と計画経済主義の間を、振り子時計の針が右に振れ、左に振れていることになる。
「政治はどうか知らないが、経済は右に振れ、左に振れながら、螺旋階段を上にあがっていくものだよ」と前尾氏は言っていた。
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