5630 シビリアンコントロールの現実的再構築 西村眞悟

ここ数日、動画でニュースを見ることも、キーボードの前に坐ることもなく過ごしてきた。つまり、あっちこっち移動していた。そこで、とりとめもなく書くことになる。
 
今朝の報道は、いわゆる「普天間問題」で、昨日鳩山首相が辺野古移転を伝えに沖縄に行ったということである。
「普天間問題」と括弧付きで書いたのは、これは実は基地問題ではなく、「鳩山問題」だからである。普天間問題は、既に長年の交渉により日米合意がなされ地元の納得が得られて「問題」ではなくなっていた。あとは実行に移すだけだった。
では、「鳩山問題」とは何か。まず国外の中共から見れば、絶好の食べ頃のカモである。アメリカからは、話す相手にならないアホーである。そして、国民から見れば、戦後という時代が生んだおぞましきヌエである。国民は、彼とともに戦後を生きてきたのであるから、鳩山が総理大臣として夢遊病者のように右往左往する様を見て、改めて、戦後という時代のおぞましさを実感した。鳩山は、確かにアホー鳥だ。しかし、戦後という時代が彼を総理大臣にしてしまった。
従って、彼の唯一の存在意義は、国民に、この総理を生み出した戦後という時代を克服しなければ、日本の将来はないということを、抽象的にではなく鳩山自身を見ることによって日々伝えていることである。
そしてこの鳩山総理に残された「まっとうな道」は、「普天間基地は、日米合意の原案の通り移転する。今まで迷走した不明を恥じ、そのことによって我が国家の国際的信頼性を著しく棄損した責任を取って総理を辞任する」という声明を発っして、即総理を辞任することである。
さて、鳩山総理が、「無能」であることは、初めから分かっていた。総理になって初めて「発症」したわけではない。兆候は、かなり前に、「国民と言うより市民といいたい」と間抜けたことを言っていた頃から顕著になっていた。
従って、私は、彼が総理になってから、時に「一体、この男が、自衛隊の最高指揮官であるという制度は何か」と考えざるをえなかった。
思えば、平成七年一月の阪神淡路大震災のときの村山富市総理大臣は、この未曾有の大都市直下型地震に際し、「なにぶん、朝も早かったし、初めてのことだったものですから」と発言して、自衛隊の最高指揮官として迅速な国民救出措置をとらなかったことの弁解とした。そして、この怠慢のために、救助を待っていた多数の国民が死亡したことへの責任は全く感じてはいなかった。
 
この村山富市ケースは、神戸を中心とした阪神地区の国民に惨害をもたらしたが、今の鳩山ケースは、厳しい国際情勢の中で、日本国民が居住する日本列島全体の基盤に亀裂を生み出している。船で言えば、荒海の中で船底のキングストン弁を抜き始めたようなものである。
村山か鳩山か、どちらが国家の危機であるか明らかである。国家の危機をもたらしているのは鳩山に勝るものはない。
村山富市は自民党が支えた。鳩山由紀夫は民主党が支えている。これは何を意味しているのか。自民も民主も、実は、同じ戦後体制の中の裏表にすぎないということ、である。
では、始めに戻って、このような者が、軍事組織の最高指揮官であるという制度を、我々は如何に運用すればいいのであろうか。この制度は、シビリアン・コントロールといわれるが、このシビリアン・コントロールのあり方を、我が国が現在おかれた無能の者が最高指揮官であるという特殊事情を前提にして再構築しなければならない。
結論から言うならば、我が国におけるシビリアン・コントロールとは、「如何なるバカが最高指揮官でも、自衛隊は国家国民のために適切に運用できる制度」であると位置づけるべきである。
この戦後体制が暫く続く限り、如何なるバカ、アホ、無能者が総理になっても我が国の軍事組織は適切に動くという体制を構築しておかねばならない。民主党の参議院選挙候補者選定の馬鹿馬鹿しさを見て、この思いを強くせざるをえない。
このように言えば、戦後体制派からは、西村は日本を戦前に戻そうとしているとの決まり文句のような反論を受ける。
しかし、戦前は悪であったという誤った歴史観から自由になり、国家の存続と国民の命を守る為に如何なる制度が必要か考える時である。
「如何なる無能な者でも最高指揮官が務まる制度」、それは、総理大臣の周囲に、強力なスタッフを配備することである。そして、何も知らない総理大臣をして「適切な判断」をさせる体制を構築することである。
 
あの鳩山でさえ、「学んだ結果、海兵隊の抑止力が大切だと分かりました」と言ったではないか。誰かが一人では分からなかった彼の耳に、それをささやいたから分かったのである。
その総理である彼に、ささやく者が、インドの占い師であってはならない。我が国家が育成したスタッフでなければならない。
具体的には、総理大臣を、統合幕僚長、陸海空各幕僚長が常に取り囲んで、何時何が起こるか分からない緊急事態に適切な判断を確保する体制こそ必要である。
現在、あのけったいな目つきになって語る総理の耳には、インドの占い師の御託宣が響いていると伝わってくるが、無能な総理が占い師に走ることを放置すること自体、カルト的であり国の危機である。
繰り返すが、現状に鑑み、我が国におけるシビリアン・コントロールとは、「如何なるバカが最高指揮官でも、適切な軍隊の運用ができる体制である」と解釈し、早急に、鳩山氏の官邸と公邸に常時、統合幕僚長と陸海空各幕僚長が執務する部屋を確保して総理が彼らと否が応でも常時協議する体制を整え、鳩山氏が外に出歩くならば、必ず彼らとホットラインでつながる連絡将校を随伴させるべきである。
このように言えば、再び戦後派から次のような反論がある。「この体制では、軍事スタッフの意見が強くなり、自衛隊は暴走する」と。しかし、内閣総理大臣が最高指揮官であるという原則を堅持する限り、自衛隊の暴走はあり得ない。
 
また、この体制が無いときに如何なる危機があったかを想起されたい。村山富市総理大臣の時の阪神淡路大震災である。あの時、あのまま、無能な総理を一人で放置しておればどうなったか。阪神間での死者は一万人に迫っていた可能性がある。
この最悪の事態を回避できたのは、陸上自衛隊の姫路駐屯地と兵庫県庁間の一本の電話である。この交信者二人の名前が判明しているのか知らないが、たまたま繋がった電話回線で、姫路駐屯地から県庁に対して「県知事から自衛隊の出動要請があったと解釈してよろしいか」という問いかけに対して、県庁職員が「よろしくお願いします」と答えた。
総理大臣も知事も何処にいるか分からなかったが、この電話一本で、自衛隊は救助に出動できた。この出動は、現実には知事の要請も総理大臣の命令もない。つまり、「超法規的出動」である。これ戦後派の絶好の攻撃材料である。しかし、戦後派の好む今の状態を放置すれば、緊急時には必ずこうなる。
村山氏ではない鳩山氏夫婦は、霊媒師や占い師を官邸に配備し始めるかも知れない。従って、我が国の自衛隊の運用が「超法規的」ではなく「合法的」で適切であるために、総理大臣には常時軍事専門家としてのスタッフの判断が即時に伝達される体制を整えねばならない。
以上、日本型シビリアン・コントロール論を終えるが、再度、沖縄に関して次のことを指摘しておきたい。一九七七年前後のヨーロッパにおける「反核平和市民運動」がソビエトの工作活動によって為されていたことは今や明らかである。 そして、同様な工作活動は、沖縄において中国共産党によって為されている。沖縄の「反アメリカ軍基地運動」である。
我が国のマスコミが、沖縄県民の「反基地」ではない声を伝えないと言うことは、我が国マスコミが中共の影響下にあるということだ。
今こそ、真実を伝えようとするジャーナリスト根性が発揮される絶好のチャンスである。我が国の危機に当たって、マスコミ、言論界の人士が本分を尽くし活躍されることを切に期待する。
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