15753 ジミー・カーターとオバマの類似性   古澤襄

春の突風が吹き荒れている。花粉が舞う外に出ずにもっぱら読書三昧。愛読書、ドン・オーバードーファーの「二つのコリア」(THE TWO KOREAS)はいつ読み返しても示唆に富む。1998年に菱木一美氏が翻訳した。
1994年クリントン政権下で米朝が第二次朝鮮戦争の危機を迎えた時に、ジミー・カーター米元大統領が非武装地帯を越えて平壌に入り、金日成とトップ会談をして歴史的な妥協を図った。この内幕を非公開の米機密文書を読み解き、四年間の歳月で四五〇人の単独インタビューを重ねて再現している。
カーターをつき動かしたものは何か。いまでも野心的な個人プレーと評される。クリントン大統領はじめ米国務省、国防総省の高官たちは「裏切りに近い」と反発した。カーターは再び非武装地帯を越えて帰国したが、クリントンはカーターと会うことはなかった。
ドン・オーバードーファーは1975年に無名のカーターが登場するところまで遡って分析している。「二つのコリア」の第4章「カーターの戦慄」に詳しい。バプテスト派キリスト教信者で牧師だったカーターはジョージア州知事を一期つとめただけで米大統領になった。
外交・安全保障政策に無知だっただけでなく、内政・経済政策についても素人同然であった。あったのは宗教心ともいうべき反戦・平和の理想だったと言っていい。
そのカーターはベトナム戦争で手痛い敗北を喫した米国が産んだ最初の反戦・大統領と言ってもいい。だから米民主党の歴代大統領でカーターとオバマは特異な類似性がある。オバマもアフガン戦争、イラク戦争で失敗した米国が産んだ反戦・大統領という位置付けでみると共通性がある。
カーターはジョージア州知事だったが、数多くあるある州知事のひとりに過ぎない。1975年に早くも韓国からの米軍撤退を主張した。ベトナム後遺症に見舞われていた米国民にとって、カーターの主張は新鮮でクリーンなイメージを持ち、衝撃的でもだった。無名に近いカーターが米民主党大会で意外にも多くの支持を得て大統領候補の指名を獲得している。
大統領選挙で勝利するとカーターは即座に在韓米軍の撤退を命令した。民主党政権下の国務省、国防総省といった政府部内での一切の政府討議もせずに一方的な大統領命令だったから、たちまち政府部内で孤立して、全面撤退反対論が巻き起こり立ち往生するはめにおちいった。理論上は、最高司令官であるカーターのサインひとつで在韓米軍の撤退が実現する筈だったが、そうはならなかった。
カーターは大統領就任直後に挫折を味わうことになる。これは大きな権限を持つ大統領が、目にみえない制約を受けた米政治史上の最初の事例となった。カーターはドン・オーバードーファーに手紙を送って「私が在韓米軍の撤退を考えたもとは何だったか、自分でもはっきりしない」と弱音を吐露している。
もっとも在韓米軍の縮小・撤退構想は、むしろ米共和党のニクソン大統領が考え、1971年に韓国の反対を押し切って六万人の兵員から約二万の第七歩兵師団を撤退させている。これは政府部内で討議し、慎重な検討のうえ実行に移している。しかし韓国から米軍を全面的に撤退させる考え方は、米国務省や国防総省に最初から存在しない。カーター命令はあまりにも唐突で、実行にうつす余地は米政府内にはなかった。伝え聞いた韓国や日本にも衝撃的であった。
ブレジンスキー国家安全保障問題補佐官が国務、国防両長官と会議を持って、カーターの面子を立てた戦闘要員800プラス非戦闘要員2600の撤退という修正案をカーターに認めさせている。カーターは渋々承認したが、ブラウン国防長官が撤退計画を妨害したと非難し怒りをぶつけたという。
カーターの全面撤退計画は北朝鮮の金日成を喜ばせたのは言うまでもない。しかしカーター命令が実現しなかったことで「カーターは選挙公約を守っていない」と批判し、”詐欺師”とコキおろしている。とはいえ金日成はカーターの存在に目をつけ内密なルートを作って接近工作ルートを保つようになる。老獪な金日成は大統領を退いたカーターに対して1991年から毎年、平壌を訪れようメッセージを送り続けている。
カーターはその都度、国務省に働きかけ、金日成と会いたいと申し入れたが国務省は「金日成の術中にはまるだけだ」と冷淡に退けている。カーター訪朝は朝鮮問題を複雑にするだけで、解決には役だたないとすげない。
それでもめげないカーターは1994年6月5日にクリントン大統領に直接、電話をかけて「差し迫った朝鮮半島に危機に自分は平壌に向かうことを決意した」と一方的に伝えた。困惑したクリントンは、カーターが正式な米政府特使ではなく、一民間人として訪朝すると表明するのであれば、異議は差しはさまないと答えている。
クリントンは北朝鮮の核開発を阻止するために、経済制裁を徐々に高める方針をとった。最後の段階の制裁で北朝鮮の港湾を封鎖する輸出入制限措置まで考えられていた。
国連安保理に提出された制裁決議案には、北朝鮮の方針転換のために三〇日間の猶予期間を設定し、北朝鮮への武器輸出や核技術移転を禁止する条項ももられた。
カーターにとっては、そんな面倒な制裁は関係ない。直接、金日成のふところに飛び込み、説得することに政治生命をかけていた。在韓米軍の全面撤退を邪魔された国務省や国防総省の高官たちの鼻をあかす執念に駆られている。
平壌での第一回会談に応じたのは金永南外相。頑な態度でカーターに応じている。「北朝鮮は国際制裁に屈服するくらいなら、戦争を覚悟する」と威嚇した。カーターの自信はもろくも崩れる。今回の訪朝は自分の評判を落とすと、その夜、胸苦しい寝付かれない経験に襲われた。
これは金日成の計算だったろう。
翌日、カーターと会った金日成は「北朝鮮は核兵器をつくる能力も必要性もないのに信用して貰えない」と嘆いてみせた。さらに「北朝鮮が必要としているのは、電力供給のための原子力エネルギーだ」と強調した。これが嘘だったのは、その後の歴史が証明している。
だが目前の成果に焦っていたカーターは手もなく信用して「米国が軽水炉を供給する約束をワシントンに伝える」と述べた。金日成は米国と合意しても韓国が反対するのではないかと懸念を示した。しかし金日成との会談で北朝鮮との和解の道筋と突破口が開けたとカーターは自信をとり戻している。
カーターはCNNの特派員を同行させて、平壌から世界にインタビューを放送する許可を金日成に求めた。許可を得たのでワシントンに連絡してきたカーターの声は興奮していたと、ガルーチは振り返っている。ガルーチは閣議室に戻ってクリントンらに報告すると「出過ぎた真似はクリントン政権をコケにするものではないか」と一斉に怒りの声があがっている。「裏切りに近い」という発言もあった。
とはいえ平壌から衛星を使って世界に伝えられたカーターの単独インタビューは、まさに衝撃的であった。カーターは金日成の発言を紹介し、「今回の危機回避に向けての会談は、極めて重要でかつ前向きへのステップだ」と胸を張った。クリントン政権がどう出るかについては「今、必要とされているのは、すこぶる単純な決断だ」と言い切った。
さてドン・オーバードーファーのカーター評はまだ続く。それは「二つのコリア」に譲りたい。オバマ大統領が誕生した今、カーターやオバマが米政治史上、”特異な存在”の言葉で片付けるのは早計なのかもしれない。米国が衰退過程の入り口に立ったと考えれば、むしろカーターやオバマに続く反戦・平和の大統領がこれからも出てくると思わねばならない。
強大な軍事力を世界に展開し、米国の理念で世界を仕切る時代は去った。一方で中国やロシアは軍事力を背景にして自国の論理で一点突破を図ろうと試みている。米国はそれに対して対抗する有効な手立てをみつけるのに苦慮している。オバマの口先外交、弱腰外交に批判が集まるが、それが米国の現実の姿なのであろう。
それでもなお米国は一国と戦う潜在的な軍事力を保持している。世界に展開している軍事力を一点に集中すれば、その米国に勝てる国はない。衰退過程に入ったとはいえ、米国はなお超大国なのである。それを信じれば、カーター、オバマは特異な存在でしかない。
だが、このアンバラスの中から反戦・平和の理念に駆られる大統領がこれからも出てくると思う方が正解なのであろう。結論からいえば、米国の軍事力頼みの日本は大きな政策転換に迫られている。それは自立した国家の体裁を一日も早く備えることである。
杜父魚文庫

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