17102 恐怖の『トリテキ』    古澤襄

テレビのニュース番組などで、記者会見中に記者たちがノートパソコンを開き、キーボードをカタカタとたたいている姿を見かけたことはないだろうか。新聞業界用語で“トリテキ”という。記者が取材対象の発言を、同時進行でパソコンに打ち込む作業を指す。「テキストを取る」からトリテキというらしいが、語源は諸説あって今ひとつはっきりとしない。
安倍晋三首相の番記者にも、このトリテキが義務づけられている。記者会見や国会答弁、講演会などでの首相発言は基本的に全てトリテキし、その内容をメモとしてデスクや同僚記者に送り、政治部全体で共有する。
もちろん記者はプロのタイピストではないので、1度のトリテキで完璧なメモを作ることはできない。録音したICテープを聴き直しながらメモを作成するのが一般的だ。
トリテキの精度が高いほどスピーディにメモを作成することができ、周囲からも重宝がられる。なかには記者会見終了と同時に誤字脱字が全くないメモを送ることができるトリテキ名人も存在する。
ただし、文字を打ち込むことに没頭しすぎると、思わぬ落とし穴にはまる。「何がニュースか」という記者本来の思考が止まってしまい、首相が重要な発言をしても反応できなくなってしまう。パソコンの画面ばかりを見ていると、首相の微妙な表情の変化やしぐさにも気づけない。トリテキ中は頭と視覚、指先をフル回転させることが求められる。
正直、かなり疲れる。時間の短い記者会見ならまだいいが、例えば国会の集中審議になると、首相の答弁は7時間におよぶ。首相番はこの間、一心不乱に首相の発言を打ち込み続けなければならない。集中力を持続させるのは至難の業だが、いつニュースになる発言が飛び出すかわからないので、気を抜くことはできない。
首相が冷静に、ゆっくりと答弁をしているときはトリテキもしやすい。しかし、そこはガチンコの国会論戦。答弁する相手や質疑内容によっては、首相がヒートアップすることもしばしばだ。口調は早くなり、発言内容も聞き取りにくくなる。トリテキも次第に追いつかなくなり、その焦りから打ち込みの精度がさらに落ちていくという負のスパイラルに陥る。
7時間もの答弁に臨む首相の疲労も相当なものだろうが、集中審議が終わる頃には首相番も憔(しょう)悴(すい)し切っている。目の前はちかちか、頭は重く、指の感覚はまひしている。
先輩記者から「一昔前はトリテキなんてなかった」と聞かされうらやんだが、現代の首相番の宿命と受けとめ、あきらめている。(産経)
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました