4287 「架け橋外交」は拒否された 古森義久

鳩山首相は所信表明演説で日本の外交方針として「架け橋外交」ということを述べました。幼稚な発想です。
「架け橋」というのは他の主権国家の間に入って、橋渡しをするということです。橋、つまり通行路になるということです。人間が通るための「道」になるということで、そこには日本という国が外交的にどのような主体性を発揮するのかがまったく欠落しています。
どの主権国家もあくまで自国の利害、理念、価値観などに立脚して、自国が主体になって、外交を展開しています。その外交の相手国に対するうえで、自国はなにもせず、まず第三国に「架け橋」になってもらうことを期待するような国はまずないでしょう。
架け橋には自分の価値観は要りません。橋を渡りたいと思うかも知れない人たちの価値観や主張を「たして2で割る」という受動的な対応さえすれば、よいのです。 だから「架け橋外交」というのはメッセンジャーボーイ外交だともいえます。他国の使い走りをするのですから、パシリ外交だともいえましょうか。
だから他の諸国には架け橋無用論も存在します。アメリカがアジア諸国との外交を進めるうえで、政府高官が「架け橋なんて要らない」と明言した実例があります。私が直接に目の前で耳にした発言でした。
私自身が体験したその「架け橋は要らない」論の内容を紹介します。こうした「架け橋無用論」はすでに20年も前に表明されていたのです。
私はその体験を2002年に刊行された『なぜ外務省はダメになったか』という書のなかで述べました。この書の著者は元外務次官の村田良平氏です。
村田氏は日本外交のよりよき姿を願い、ご自分の体験を基に外務省改革論をこの書で書いています。本の副題が「甦れ、日本外交」であるように、ひとえにご自分が何十年をも過ごされた日本外務省への斬新な提言を述べています。
この書の後半に「甦れ! 日本外務省(特別鼎談)」という部分があります。この鼎談では村田氏を中心に外交評論家の田久保忠衛氏と古森義久が3人で日本外交について自由に語りあっています。
この書で私が述べたことは次のようでした。
「(架け橋外交が通用しないことの)具体的な例をあげれば、いまの中国大使の阿南惟茂氏が10数年前にアトランタ総領事をしていたときに、『日本のアジア政策』というテーマでアメリカのジャパン・ソサィティが主催したシンポジウムがアトランタで開かれました。
そのシンポジウムでのパネリストは阿南氏とアメリカの国務次官補代理まで務めたデセイ・アンダーソンという人物、それに私でした。3人がそれぞれスピーチをして、そのあとにパネル・ハディスカッションになりました。
そのときに阿南氏は『日本のアジア外交の重要な機能の一つはアメリカとアジアの架け橋の役割を果たすことだ』と言ったのです。
これに対してすかさず、アンダーソン氏が『架け橋は要らない』と反論しました。
アメリカはアジア諸国との外交は自国だけで十分にできる。シンガポールとの折衝もアメリカは直接できる。マレーシアとの外交も直接できるから、日本に架け橋になってもらう必要はないと明言したのです。
アンダーソン氏の明快な発言に、架け橋外交、橋渡し外交、足して二で割る外交をしようとする日本の外交の特殊性、というよりも、そのむなしさが、際立った感じで印象に残りました。
阿南氏はなにも反論しませんでした」。以上が村田良平氏の書のなかでの私の発言でした。
こうした公開の会議の場で日本の「架け橋外交」はアメリカ政府の高官からあっさりと拒否されていたのです。架け橋のむなしさ、ということでした。
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