83 市・町・村史の買い漁り 古沢襄

神田の古書店「慶文堂」から古書目録を送ってきた。慶文堂は膨大な市・町・村史を集めていて、折りにふれて注文していたので、その蔵書は、すでに四十冊を超えている。茨城県関係だけでも古河市史二巻、下妻市史四巻、下館市史二巻、八千代町史二巻がある。
これが、とてつもなく高い。古書目録で目にとまったのが、結城市史全六巻(四万八千円)と小山市史全十巻(六万八千円)。喉から手が出るほど欲しいのだが、年金生活者の身では、おいそれと手が出ない。それだけの高値がつくということは、私のように市・町・村史を集めている研究者がいるということであろう。
結城市史と小山市史を購入すると、私の市・町・村史の蔵書は五十冊を超えてしまう。何よりも十六冊がダンボールに入れて届くと「またフルホンを買ったの!」と女房が柳眉を逆立てるのが目にみえている。一応は「フルホンではなくて、古書(コショ)だよ」と弁解するのだが、それも煩わしい。結局は女房の留守を狙って配達時間を指定して、注文するしかないが、突然、帰宅することもあるので、ビクビクしながら配達を待つのも気ぜわしい。
市・町・村史というと軽視する向きがあるが、いずれも大学教授が監修していて、地方史を研究する人にとって、欠かせない入門書となっている。通史も遺跡時代から現代に至るまで、その地方の変遷について、かなり詳しい。
だが、私が愛用するのは「資料篇」である。古文書の解読が苦手な私は、もっぱら資料篇によって、入手が困難な中世や近世の資料を読み解いてきた。秋田県の能代市史は全二十巻、その大半は佐竹文書や秋田家文書。古くは檜山安東家文書まで網羅していて、現代語訳と解説まで付いている。
常陸国の太守だった佐竹氏について、茨城県で佐竹文書を探すのは困難を極める。水戸家資料が豊富なこととは対照的である。だが、能代市史に佐竹文書が網羅されていて、家老職の日記まであるから助かる。茨城県の中世史を、秋田県の史料で読み解くことになる。
最近は秀郷流藤原氏について、調べをすすめている。平将門を討った藤原秀郷(田原藤太秀郷)の後裔は、関東から東北にかけて勢力を増やして「武家藤原氏」といわれた。京都で栄耀栄華を極めた「公家藤原氏」に較べれば、同族であるものの地方豪族に過ぎないが、関東の地方史研究では、秀郷流藤原氏の興亡史こそが根幹をなすといっても過言ではない。東北においても平泉で栄華をほこった奥州藤原氏が、この流れである
無理をしてでも結城市史を手に入れたいと思うのも、結城氏が常総の秀郷流藤原氏の直系豪族だと思ったからである。下館城の水谷氏(同族)や下妻城の多賀谷氏は結城氏の家老であった。多賀谷氏は結城氏から離反するが、小田原城の後北条氏を囲んだ豊臣秀吉は「昔日のごとく結城家臣として忠節を尽くせ」と多賀谷重経に命じている。
茨城県から見るかぎり、結城氏は佐竹氏を上回る太守で、秀郷流藤原氏を継ぐ名家となる。古河城にあった下河辺氏も結城氏の同族である。家康によって滅ぼされた下妻・多賀谷氏も、多賀谷重経の長男・三経が結城方について命脈を保っている。
ことしの一月十四日に小山市で「国史跡祇園城シンポジュウム」が行われた。都立大教授だった峰岸純夫さんら中世史の研究者が基調講演を行って、史跡の発掘跡を見学する大がかりなイベントだったが、シンポジュームに参加した友人の中村紀介さんが、帰途立ち寄ってシンポジュームの模様を話してくれた。
下野国(栃木県)の小山氏は、常総の合戦史にも度々でてくる。だが世に一番知られているのは、上杉景勝討伐のために家康が五万六千の軍勢を率いて出陣、家康の本陣を小山に置いたことであろう。そこに石田三成が挙兵の知らせが入った。天下分け目の関ヶ原の合戦の序曲である。
西にとって返す家康は、次男の結城秀康を呼び「上杉という謙信以来の弓矢の前に立ちはだかる総大将はお許しかない。軽々に動くな。しかし上杉が鬼怒川を越えれば、命をかけて防げ。お許とは今生の別れになるやもしれず」といって落涙したという。そのあとに諸将を集めた評定で三成挙兵を告げ、ただちに西にとって返す布告をしている。これが小山評定である。
シンポジュームの資料を読んで、新しい発見をすることができた。中世以降、結城氏の活躍があまりにも華々しいので、秀郷流藤原氏の本流は結城氏だと思っていたのだが、実は小山氏が直系の本流であった。結城氏は小山氏の支族である。
秀郷から七代目に当たる政光が小山庄を拝領して小山家の祖となっている。その子朝政は鎌倉御家人として頭角を現し、末弟の朝光が結城家を興した。小山氏は東国屈指の大族といわれるようになったが、十一代目の義政を境にして衰退している。
小山氏が関東の雄となることに鎌倉公方の足利氏が警戒して、様々な口実をもうけて攻め込み、義政を自害させた。十二代目の隆政は若犬丸と称したが、足利氏満に攻められ、奥州白河で自害して果て、小山氏は滅びた。代わって結城氏が頭角を現すというのが、秀郷流藤原氏の歴史であった。
小山市と結城市は県境をはさんで指呼の間にある。小山市を南下すると古河市、結城市の真東に下館市、古河市の真東と下館市の真南を結んだ線上に下妻市がある。これらの古戦場と城址跡を巡ると、自分が中世にタイムスリップしているような錯覚に襲われる。歴史の面白さというのは、そういうものであるまいか。

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