秋田の旧友田中昭一さんから、秋田産のサクランボを戴いたので昨夜、焼酎の水割りを片手に戴いた。新発見、焼酎のさくらんぼカクテルであった。
実はさくらんぼは家人が食べるものと決めて、手を出さなかったのに、なんと、あっという間に尽きてしまった。さくらんぼの本場は山形県といわれる。だが、秋田県南部でも盛んに栽培されていることを知ったのは50歳近くなって、田中さんと知り合ってからだった。
そういえば、リンゴも秋田県内にはかなり栽培されている。敗戦直後、うちひしがれる日本人を慰めたといわれる「リンゴの歌」。同名の映画のロケ現場は青森県でも長野県でもない。秋田県南部の増田町(ますだまち)のリンゴ園なのである。
ところで今やさくらんぼは北海道でも栽培されているのをご存知か。<北海道増毛町産さくらんぼ。日本最北果樹生産地「増毛町産」さくらんぼ佐藤錦、水門、南陽の先行予約受付を開始しました!>とインターネットに出ている。数年前友人の手配で落手したが、相当、酸っぱかった。当然、山形モノより遅くなる。
リンゴに対する中国での人気はきわめて高く1個1000円ぐらいするのに、あっという間に品切れになる。それを知って日本の主産地は気をよくしているが、真似の大好きな中国人。旧満洲(東北部)で最近、何百ヘクタールも植栽された。そのうちさくらんぼも植えるかも知れない。
さくらんぼは秋田では「おうとう(桜桃)」という。北隣津軽(青森県日本海岸側)旧金木町の旦那太宰治の忌日は「桜桃忌」と称される。
<森鴎外の墓の斜め前に、太宰治の墓がある。太宰の死後、美知子夫人が夫の気持を酌んでここに葬ったのである。
第1回の桜桃忌が東京・三鷹市の禅林寺で開かれたのは、太宰の死の翌年、昭和24年6月19日だった。6月19日に(愛人と玉川上水で入水心中した)太宰の死体が発見され、奇しくもその日が太宰の39歳の誕生日にあたったことにちなむ。「桜桃忌」の名は、太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一によってつけられた。
「桜桃」は死の直前の名作の題名であり、6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石のような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、友人たちの圧倒的支持を得た。
発足当時の桜桃忌は、太宰と直接親交のあった人たちが遺族を招いて、何がなくても桜桃をつまみながら酒を酌み交わし太宰を偲ぶ会であった。常連の参会者は、佐藤春夫、井伏鱒二、檀一雄、今官一、河上徹太郎、小田獄夫、野原一夫らがいる。
中心になったのは亀井勝一郎で、当日の司会も昭和38年まで続けた。その間に、桜桃忌は全国から十代、二十代の若者など数百人もが集まる青春巡礼のメッカへと様変りしていった。
主催も筑摩書房に移り、さらに昭和40年から桂英澄、菊田義孝といった太宰の弟子たちによる世話人会が引き継いだ。「太宰治賞」の発表と受賞者紹介が桜桃忌の席場で行われたのはこのころのことである。
しかし、その世話人会も平成4年、会員の高齢化を理由に解散している。太宰治の死から、59年を経て、かつて桜桃忌に集った太宰ゆかりの人々の多くが故人となった。
しかし、その作品は今も若い読者を惹きつけてやまず、太宰との心の語らいを求めて桜桃忌を訪れる人々は後を絶たない。>(参考文献:桂英澄『桜桃忌の三十三年』
<サクランボ(桜ん坊:桜桃) Cherry バラ科(→ バラ)の落葉高木、セイヨウミザクラの果実。オウトウ(桜桃)ともいわれる。ルビーにも似たあでやかな色とあまずっぱい味で、さわやかな初夏をつげる果物。
直径2cm、初夏に熟して黄赤色から暗赤色になる。生で食べたり、加工されてジャムや果実酒になる。おもな品種に、果肉のやわらかいタイプの佐藤錦やナポレオンなどがある。
明治時代の初めにアメリカから導入されたバラ科の落葉高木、セイヨウミザクラとその改良種の果実。初夏に熟して黄赤色から暗赤色になる。日本では山形県でもっとも多く生産される。
サクランボの生産量は、アメリカ合衆国が世界トップ。おもにアメリカ北西部や五大湖地方の果樹園で栽培されている。ユーラシアでセイヨウミザクラが栽培化されたのは2000年以上も前だが、チェリーパイなどに使われるスミノミザクラが知られるようになったのは17世紀だった。
英名ではBird Cherryともいうように、鳥などによって種子がはこばれ、有史以前からヨーロッパ各地で野生化している>。Microsoft(R) Encarta(R) 2006. (C) 1993-2005 Microsoft Corporation. All rights reserved. 2007・06・30
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