●初鰹で一杯
さて、話を戻そう。
この間、梅安、彦次郎、小杉十五郎は、切畑の駒吉が金にあかせて送り込んできた刺客を次々と撃退していった。しかし、夜中とか早朝とはいえ、品川台町の自宅兼治療場が刺客に襲撃され、おせき婆さんまでが怪我をするようになったのでは、もはやここでは暮らせない。梅安はひそかに田町の東海道の西、山の手側に家を新築しはじめた。
梅安は、田町の新しい家の普請場の脇に小さな小屋を作らせて、彦次郎、十五郎とともにひっそりと暮らしている。この拠点は幸いにも切畑の駒吉ら白子屋一味に知られてはいない。
かつて梅安が命を救ったさる大名の下屋敷の普請という名目にしているから、白子屋もそこまでは調べきれない。周囲は長さ六尺、幅三尺の松の羽目板で覆われているから、外からはうかがい知れない。
春が近づいてきたとは言え暮れ六つにはすっかり陽が落ちている。
「梅安さん、いい匂いだね、アゴ出汁に昆布だから今夜はアサリと大根だね」
「ははは、ずばりだよ、彦さんも通になってきたね」
「へへへ、師匠のお陰だね。楽しみだ。ところで十五郎さんはもうすぐ戻りなさるかね、昼から出かけたようですが」
「ああ、十五郎さんには、実はね、お使いを頼んだのさ。今の時期は井筒に飛び切り新鮮な初鰹が入るんでね」
井筒は先代から引き継いだおもんが女将としてきりまわしている橋場の料理屋である。勝浦沖で取れた初鰹が届くや金に糸目をつけずに競り落とし、口の肥えた客に最高の旬の味を楽しんでもらうのだ。
江戸名所図絵の橋場の紹介中、
初かつお 井筒にかけし まろが金 過ぎにけらしな 妹は質草
(初鰹を食べるために井筒に大層な金を払った、妻は質屋に入っている)と戯れ歌に書かれている井筒とは、おもんの店である。当時から江戸中の評判だった。
「おっと、彦さん、十五郎さんの足音だよ」
「うん、お帰りなすったね、私はお燗番をしよう」
「ただ今。梅安さん、おもんさんが飛び切りの鰹を分けてくれましたよ、どうです、これ、本当にきれいですよ」
「うん、旨そうだね、早速いただこう。彦さん、まず冷やでやろうか。うん、生姜とニンニクでね・・・じゃあ、春と鰹に乾杯だ」
「それとおもんさんにも乾杯ですね」
「うん、感謝を込めてね。うーん、うまい、うまいねえ、彦さん、どうだえ、このプリプリの味」
「ははは、梅安さん、本当に旨そうに食べるね、小杉さん、ご苦労様でした」
「なーに、こんなに美味しいお使いなら毎日でもしましょうよ、ははは」
「ははは」
気の置けない男三人の楽しい日々は、しかし、長くは続かなかった。音羽の半右衛門が切畑の駒吉の仕掛けを梅安に依頼してきたのだ。
半右衛門によると、梅安を攻めあぐねた駒吉は、一旦京都へ帰り、体制を立て直して江戸へ再度乗り込むことにしたという。半右衛門が放った密偵が聞きつけてきたのだ。
駒吉は新富町の旅籠・伊勢屋を江戸における根城にしていたが、いつも十人ほどの子分や用心棒に囲まれており、外出する際にも先触れ三人、駕籠脇三人、後詰三人という、これ以上ない用心をしていた。襲撃できる隙がまったくなかった。
「しかし」
と半右衛門は言う。「旅へ出る時もこの陣容なのですが、襲撃する機会はどこかに確実にあろうかと思いますよ。梅安さんの仕掛けと同時に私は江戸における白子屋の勢力を虱潰しにして二度と来れぬようにしたい。それでなければ隠居暮らしもできやしませんからね。梅安さんもいつまでも仕掛けは辛かろう、ここは最期の仕掛けということでぜひとも協力をお願いしたいのです」
田町の普請場の仮住まいで梅安、彦次郎、小杉十五郎を前に半右衛門は「半金です」といって二百両を置き、懇願するのであった。
「よしてくださいよ、元締。これは白子屋と私の私闘でもあるのですから受け取ることはできません。私もきっちりとけりをつける覚悟を決めましたよ、一緒に工夫してみましょう」
「おお、梅安さん、やってくださるか、ありがたやありがたや。これで私もこの世で思い残すことはない。で、なんぞいい思案がございますか、歳をとるとどうもせっかちになりましてな」
「まあ、皆で考えてみましょうか」と、梅安は東海道の地図を広げた。
●六郷の渡し
四人の男が東海道の地図を前に腕を組んでいる。梅安は地図を睨み、彦次郎はうつむいている。小杉十五郎は天井を見つめ、音羽の半右衛門は眼を閉じている。思案投げ首の態で、これはという仕掛けが思い浮かばない。もう一刻ほども沈黙が続いている。
「梅安さん、少しばかり気分を変えましょうかね、このままではどうもいい考えが出そうもありませんや。今一本つけますからちょいとくつろいでいてくださいよ」
彦次郎がかまどでお燗に取りかかると小杉十五郎も立ち上がってなにやら料理を始めた。この頃では梅安と彦次郎の感化で小杉十五郎も料理が好きになってきたのだ。
「彦さん、男子厨房に入らずなんて孟子様は随分もったいなことを言ったもんですねえ。ちょいと覚えるとこんなに手軽に美味しいものが味わえるのかと本当に楽しい気分になりますよ」
「だろ、もうやめられないね。女に料理を任せておくなんざ、人生の楽しみの半分を捨てているようなものさね。男厨はこれから大いに流行るだろよ。小杉さん、それ、旨そうだね」
「今朝おせき婆さんの家を訪ねたら蕪をたくさん貰いましてね、昆布と合わせて浅漬けにしたんですよ」
「おっと、銚子も人肌になった、さあ、皆さん、お待ちどうさま、蕪をつまみに一杯といきましょう」
「元締、どうぞ・・・」
「ああ梅安さん、こりゃあどうも・・・おっとと。うん、旨いねえ、うん、この蕪もいけるねえ・・・ところで梅安さん、仕掛けですけどね、白子屋のおよそ十人を一気につぶすことはできないでしょうかね」
「一ヶ所に固まっているということはまずないですからね、旅籠の部屋も続きの二部屋か三部屋でしょうし・・・
これを聞いた小杉十五郎がはたと膝を打った。
「梅安さん、多摩川の六郷土手の渡はどうでしょう、あの舟は十人舟ですから皆一緒に渡るでしょう」
「や、小杉さん、いいところに目を付けなすった、舟の上なら身動きできないし、一網打尽、ドカンとやればそれこそ一気に片が付くねえ」
彦次郎が言う。「いやあ、梅安さん、それはちょっと荒っぽすぎませんか。火薬を調達する際に足が付きかねない。それよりこうしてはどうでしょう」
と、彦次郎が考えた策はこうだ。
渡し舟が白子屋の一党を乗せて川の中央あたりへ来るのを狙って両側から舟を寄せて挟むようにする。船頭には事前に言い含めて渡し舟からわざと落ちてもらう。竿で両側から渡し舟を挟んで、そのまま海へ出る。そこで渡し船を転覆させる。十人満載だからすぐに転覆して全員土座衛門・・・。
「彦さん、泳げる奴もいるだろうが・・・」と梅安。
「なーに、そん時は吹き矢でやっちまいますよ、大した手間ではありやせん」
「なーる・・・」
小杉十五郎と半右衛門もいたく感心したようだ。「最後の仕掛けとしては洒落ているし、何回か実地に訓練すれば成功は固そうだ、明日からは様々な場合を考えて机上作戦、実地訓練をしていこう。さあ、酒を飲んで鋭気を養いましょう」と梅安。明日からは忙しい日々がしばらく続きそうだ・・・
さて、光陰矢のごとし。「六郷の渡し」作戦から早くも二年の月日が流れた。白子屋は切畑の駒吉を失うと一気にタガが外れて江戸のみか京阪でも内部分裂を起こして壊滅してしまった。
藤枝梅安は田町の新居でおもんとともに暮らしている。貧乏人には無償で治療をするので、今では「仏の梅安先生」と慕われ、いつも患者などで賑わっている。
橋場の料理屋、井筒では彦次郎と小杉十五郎が包丁を握っている。十五郎は大小を捨てて町人になった。二人ともおもんの勧めで井筒の女中と結ばれ、ともに店を切り盛りしている。来月、十五郎は父親になる。
音羽の半右衛門はすっかり楽隠居し、時折、孫の手を引き、野菜を持って梅安を訪ねてくる。その昔、目黒・渋谷・麻布を仕切っていた香具師の元締、萱野の亀右衛門とは野菜作りで交流があり、時折ふたつの夫婦で温泉旅行にも出かけているそうな。
彼らがひと頃は江戸の闇社会で仕掛け人あるいは「蔓」として殺しを請負っていたことを知る人は今はほとんどいない。
「行く春や お江戸のことは夢のまた夢」
「仏の梅安先生と慕われた鍼灸師藤枝梅安の晩年の句」だと目黒の西岸寺の記録に記されている。
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3097 その後の四人 仕掛人・藤枝梅安(最終篇)② 平井修一
平井修一
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