8942 書評・近藤大介『「中国模式」の衝撃』(平凡社新書) 宮崎正弘

題名通り、本書は「衝撃」的な中味がてんこ盛り。抱腹絶倒の前半と、強迫観念にとりつかれそうになる中国の外交、経済、軍事の猛追、急襲の荒々しさが後半部に活写され、新書とはいえ単行本一冊のボリュームいっぱいにチャイナのおもしろさ、悲しさ、凄まじさが奏でられている。
要するに中国とはどんなタイプの怪獣なのか? そこの暮らす中国人って、どういう種類の動物なのか?銭がすべて。弱肉強食、上意下達の世界。あからさまな出世と金儲け欲。
すべてが分かりやすい。あらゆることはボスが決める。銭が多ければライバル会社に平気でトラバーユするのも、会社が人生の目標ではなく、まして生き甲斐でもなく、あくまで会社とは個人の人生ジャンプの踏み台でしかないという割り切り方が中国人の人生観だから、日本人とは水と油、うまくやっていける筈がない。そう繰り返して忠告しても、今日も明日も、日本の企業は中国へ進出する。その両者がぶつかれば、揉め事が多発するのも、これまた常識である。
本書の著者の近藤さんとは四半世紀にわたる知り合いだが、北京留学を含め、あしかけ五年を北京に暮らす。若き日に北京大学留学中は、寮のとなり部屋の住人とは、かの連坊センセだった。このセンセ、先日までどこかの国の大臣をしていた。
最初に会ったとき、背広にネクタイでビジネス手帳をだして、週刊誌の記者だというので訝った記憶をまざまざと思い出した。それまで週刊誌記者といえば、長髪にジャンバー、ぼろぼろのメモ帳をだして、つっけんどんな質問を繰り出す手合いが多かったから、この人は一体なんだろう、ホントの記者? しかも東大卒だというので、ついに週刊誌業界に新人類登場かと新鮮な感動。以後、月刊誌に移ったときも何回か一緒に仕事をした。途中で近藤さんが書いた、抱腹絶倒の北京留学記のほか、北朝鮮のルポはじつに迫力があって面白かった。
また近藤さんは中国のダボス会議に最初から全て出席した記録をもつ生粋のジャーナリストでもあり、あっと驚く中国の著名人、それこそ政治家から財界人、エコノミストまで片っ端からインタビューをこなしてきた経験豊富の人でもある。そうそう、近藤さんは北京語と朝鮮語を流暢に操(あやつ)るという、語学の才能豊かな記者でもある。
北京か、東京で、このところ一年に一度くらいしか会わないが、豊饒なる中国情報を聞くのがいつも愉しみ、本書はそのコンデンスだ。
のっけから始まる北京の通勤地獄は阿鼻叫喚の叫びがページからも漏れてきそうだが、「降りる人が済んでから乗って下さい」の世界ではない。出る人、はいる人でどっぷりと取っ組み合いの戦争状態。もみ合っているうちにドアがばーんと閉まる。バスも同じだが、快速、鈍行、特急の表示もなく、言葉ができないと、北京のバスは何処で止まるかも分からない。
地下鉄で三つほどの通勤区間に一時間もかかるのは、要するに交通マナー、乗降のマナーがないからである。タクシーの奪い合いも凄い。黒車(白タク)のほうが親切だったりする。
いつぞや小誌でもレポートしたが、北京の凶暴タクシーとは異なって、上海のタクシーは掴まりやすいし、運転手のマナーもよい。やっぱり北京と上海は違う国である。
 
▲中国との交渉はパチンコの攻略に似ている
本書では、「中国モデル」が、所謂「日本的経営」とか「日本人気質」とは百八十度異なる実態を実際に北京での日常生活を通して、これでもか、これでもかと具体例をいくつも挙げて例証される訳だが、そのあまりに生々しい例証、その強い説得力に目から鱗が落ちるのである。
日本人の中国駐在員の多くがストレスのあまり変死したり自殺したり、帰国後も精神的に陥没するケースが頻発しているのは、天と地ほどに中国のビジネスマナーが違うからなのだが、基本に横たわるのは「性悪説」の中国人のものの考え方と、穏健な風土に育った日本独特の「性善説」に立脚する日本人との違いと言って良いかも知れない。
しかし国際化時代。日本人はもっとメンタル・タフネスであるべきだ。
だから本書前半部の肯綮は次の表現に表れている。中国との外交の極意をベテラン外交官はこう言ったという。「中国はパチンコだよ。私はいつも、パチンコ台の前に座っている感覚で中国と対峙してきた」
その極意とは?「まず大事なのは、玉のでそうな台を見極め」、つぎは「一定の資金を投入して、玉を打ち始め(中略)、じっと我慢をしていると、ある時、中央のチューリップが、ぱっとひらく。その瞬間に一発でも多く、チューリップめがけて玉を打ち続ける。そして、チューリップが閉まると、後はいくら打ち込んでも徒労におわる」
なるほど中国人との交渉のコツは、そうだよね。日本企業の中国での成功例は、或る大手商社の幹部が筆者の近藤さんに次のように喩えたという。「三者の異なったタイプの日本人の合議制により、重要な決定をくだ」せるシステムづくりが成功のコツ。
それは、「中国語がぺらぺらで中国事情に精通し、中国のほうをむいている日本人。日本の本社に強い顔を利く、本社の方を向いている日本人。そして綿密な企画書や報告書を作成できる、机に向かっている日本人」の三者のトロイカ体制で「中国の現地法人を運営している会社こそが、中国ビジネスにおいて成功する」そうな。嗚呼、それも一理あるなぁ。
▲中国の風景にとけ込むには
ところで評者(宮崎)が中国へ行くと、一緒に行く友人がよく指摘することがある。「宮崎さん、中国にくると人が変わりますね」「どんな風に?」「とても声が大きくなるし、態度が横柄になりますよ」。
指摘されるまでもなく、そうしないと中国の風景にとけ込めないし、中国人とは交渉できないからである。日本的礼儀や美風などはなから通じないと思わなければ、逆に中国に行かない方が良いのである。
混雑するレストランで注文するときは気合いを入れて大声、気の利くメイドにはさっとチップを渡す。ほかの客を放ったらかしも優遇してくれる。気合いである。
もう一つ余談を書くと評者は中国人の出身地別の性格や気質を論じたり、中国人にとっての常識を論じたりしたことは多々あるが、次に日中文化比較論を書こうとしながらも、このテーマはなかなか難しい。
そこで軽い読み物風に、とっつきやすいタイトルにして「中国人はなぜカレーライスが嫌いか」という本を評者(宮崎)はある日、思いついて書こうとした。
ナンバーワン、オンリーワンの二つのタイプが殆どという中国人は、単品の食事をしないが、アメリカ人もカレーライスは嫌いである。あの匂いが嫌なようだ。中国人は別な理由でカレーライスが嫌いなのだが、これも現在の中国では様変わりである。
マックやKFCのチェーンがいたるところに出来て、中国の購買力平価から言えば高いのに、若い人で何処でも混んでいる。この十年の変化である。
そしてこの五年の変化は、どこへ言っても「回転寿司」があり、結構な繁盛を示している。だからと言って、日米中の食文化は近接しつつある等と考えると早トチリになりかねないのである。
回転寿司はガラス張り、寿司は中国においては「高級グルメ」の印象がつよく、ステイタス・シンボル化しているのだが、じっさいに食べてみて驚くのなんのって、あれは寿司ではなく、「寿司もどき」だ。
▲中国の回転寿司はファッショナブルなグルメ風俗
逆に上海のひとが銀座や新宿で寿司のカウンターに座って、トロ、マグロ、鰹、鮭、いくらは食べても誰もウニや小鰭、鱈子(たらこ)には手をつけないように、中国での其れは巻物が中心に怪しげなサラダがあって、マヨネーズで寿司を食べている。
日本食で中国で大成功したのは「ラーメン」と「日式餃子」(つまり焼き餃子のこと)、「しゃぶしゃぶ」「天ぷら」だが、寿司は中国的風土にそまって別物になってしまった。
で、話題をカレーライスに戻すと、昨年から変化が現れ、「Coco壱番屋」が上海に登場した。試しとばかり試食してみて、やっぱり日本のカレーと異なり、これもカレーライスもどき。メニューが多彩で丼物から貝のてんこ盛りまで。値段も高い。
ナンバーワンか、オンリーワンの中国人ゆえに、カレーには、日本ならヒレカツ、ロース、メンチカツの選択にせいぜい海老フライ。中国はトッピングが多彩なばかりか、まったく別物がのったり。辛さの選択は五段階あって、「普通」「辛い」「やや辛い」「かなり辛い」「激辛」から選ぶ。日本はもっときめ細かくソウスは三種類、辛さも1-10,サラダにビールの選択もできる。日本的サービルの微細なノウハウの一部だけしか、まだ中国人の世界には展開されていないようだ。
風俗の先端をゆくファッションとしてのグルメの流行とみた。本質的に中国人は、そういうバラエティでもなければ単品の食事を取らないのである。
いや、本書からちょっと脱線したが、後半分は外交、軍事、経済の中国の戦略、とくに対米政策の変遷について近藤さん独自の分析がある。
いまや世界は「米中対決時代」であり、「日中関係は『米中関係の補完因数』だ」。評者からみても近年の中国は日本を眼中にいれていない。
だから米国が強く出たら、中国は急に日本に猫なで声になる。「中国に責任はない」と言っていたのに、突如、毒餃子事件では「犯人」を差し出してみせたり、尖閣諸島問題でも、日本が隙を見せればつけ込むが、対米関係で日本に歩み寄りの必要性を感じると、主張を引っ込めるばかりか、従来扇動してきた釣魚連合など反日グループに対して、逆に圧力をかけるという「柔軟性」に富む。
こういうしたたかな中国人を相手にこれからも外交、商売をつづけようとする日本人は、本書をサブテキストにすると良いだろう。
杜父魚文庫

コメント

タイトルとURLをコピーしました