高木幸雄(旧姓渡辺幸雄)という快男児がいた。私の古くからの友人、大学時代に同じ下宿で過ごした。亡き渡辺ミッチーの従弟、みんなの党の渡辺喜美代表の叔父になる。
ミッチーの名代として、フィリピンのコラソン・アキノ大統領の私邸を訪問したり、辞任したコラソン・アキノを那須にある高木氏の別荘に招いたりしていた。ミッチーの兄・嚆夫さんと一緒にインドネシアを訪問、儀仗兵の閲兵をした時には、足が震えたと笑っていた。ミッチー・アジア外交の裏役に徹している。
その幸雄さんがガンで亡くなって十年の歳月が去った。66歳の若き死だったから心残りがあったろう。生きていれば、甥の喜美氏の後ろ盾になっていたと思う。
私の母をよく知っていた幸雄氏は、古沢元・真喜文学碑が除幕した日に文学碑を抱いて泣いていた。心優しき”情”の男でもあった。二年前の夏、幸雄さんの顕彰碑の除幕式があった時に喜美氏に会ったので、「渡辺喜美氏と叔父の高木幸雄氏」という想い出話を書いた。
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ミッチーが亡くなったのは平成七年、膵臓癌のため死去したが72歳だった。あれから17年の歳月が去った。六歳年下の弟のために青山会事務局長の黒子役としてミッチーを支えた嚆夫さんは95歳になった筈である。数年前に「人生讃歌」という書状を頂いた。書斎の机の前に貼ってある。
懐かしい写真がある。嚆夫さんは小野田寛郎少尉と同じ陸軍中野学校の出身。一番左から私。その隣が嚆夫さん。女性を置いて幸雄さん。赤坂の料亭で飲んだ時の記念写真。

「人生讃歌」
還暦(六十歳)=やっと人並み これからが出発点
古希(七十歳)=元気だ 若者に負けない心意気
喜寿(七十七歳)=少しは 人生にも慣れてきた
傘壽(八十歳)=まだまだ 世の役に立ちたいもの
半壽(八十一歳)=これで人生 ようやく半分
米寿(八十八歳)=それでも お米が食べ足りない
卒寿(九十歳)=人生には 卒業はない筈だ
白寿(九十九歳)=せめて 百歳になってから
百壽(百歳)=ひとつの節だが まだまだ未熟
茶壽(百八歳)=もっともっと お茶を飲んでから
皇寿(百十一歳)=そろそろ ゆずろう日本一
昔寿(百二十歳)=心づもりは できたけど
天寿(百六十二歳)=これで人生 全うです
杜父魚文庫
9735 渡辺嚆夫さんと「人生讃歌」 古沢襄
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